なぜ野球のサイトでこの事件を取り上げるのかというコメントがあったが、まさにこの事件は「野球の問題」でもあるからだ。



日大アメフト部事件の問題の本質は「スポーツがゆがめられた」ということだ。ゆがめた圧力は、アメフトだけでなく、日本のスポーツ界に広く存在するものだ。そして、アメフト界がどのようにゆがみを正し、スポーツのあるべき姿を回復するかの過程は、野球界にとっても重要な指針となる。
この事件によって、日本のスポーツの「変質」に、かつてない注目が集まっているのだ。

「勝利至上主義」と根底は同じだが、日大アメフト部事件では「エリート偏重」が、存在した。
宮川泰介は、日大豊山高校時代から注目された選手であり、日本代表にも選ばれるエリート選手だった。しかし原因はわからないが、内田正人前監督の勘気に触れて、スタメンを外され、代表も辞退するように言われた。
一生をかけてアメフトに取り組んできた宮川にとっては、それは「死」を賜るようなものだった。追い詰められた彼は、スポーツの則を超えた暴力行為をするに至ったのだ。

テレビに何度も出てくる例の試合のシーン、フィールドには赤いユニフォームを着たおびただしい数の日大の選手が並んでいる。アメフトはサッカーと同様、11人でやるスポーツだが、日大アメフト部の公式サイトには98人もの選手名が並んでいる。
この中からレギュラー、潤レギュラーになるのは四分の一程度、あとは控え。試合に出る機会は限られている。宮川のような有名選手はともかく、中には4年間で1試合も出場しないままで終わる選手もいる。

スポーツ、とりわけボールゲームは試合に出場してこそ、曽於魅力を享受することができる。練習をいくら積んでも、そのボールゲームをしたことにはならない。部活でその球技を選んだ部員は、練習をするためではなく、試合に出場するためにその部に入っている。部員は、技量の巧拙、実力にかかわらず試合に出場する権利を有していると考えても良いと思う。

しかるに日本の指導者の多くは、選手を試合に出す権限を独占し、それをタテに選手を支配している。そして実力だけでなく、指導者に対する従順さ、忠誠心などによって選手を選別している。本来、選手に備わっているはずの「試合に出場する権利」を、指導者が奪っていると言っても良いだろう。

選手を試合に出すことを前提にすれば、98人もの選手を抱え込むことは考えられない。日大アメフト部は「エリートしか試合に出られない」部なのだ。「勝利」のために他の多くの部員が捨て石になることが容認されていたのだ。それはスポーツでも教育でもない・

日本の球技は、そのすべてがお雇い外国人によってもたらされた。新時代を担うエリート学生がこれを学んで、日本に広めた。その経緯からしても「球技をすること」「試合に出ること」はエリートの特権だという意識が強かった。競技を普及させるのは、多くの人がそれを楽しむためではなく、優秀な選手、エリートを選別するため。

その残念な体質が、日本のスポーツ界を不幸なものにしている。

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