東洋経済ONLINEに、非常に深い記事が掲載された。
日本人の「ハチ公体質」は、不幸しか招かない/上下関係で成り立つような忠誠心は危険だ

筆者はフランス人ジャーナリスト。「死んだ主人をいつまでも待ち続ける犬」に感動し、銅像にするのは日本くらいだそうである。
忠犬ハチ公に象徴される、目上の者、恩義のあるものへの絶対的な忠誠心を日本人は賛美するが、そういう体質が、日本の成長の阻害要因になっているとともに、深刻な不祥事の病巣になっていると指摘する。

こうした日本独特の「忠誠心」が、本当は正しくなく、不健全であることは、日大アメフト部の事件に照らし合わせればわかることだ。

日大アメフト選手宮川泰介は、コーチ、監督の指示に従って関学大の選手に暴力的なタックルをした。ここまでの宮川は「ハチ公」だったといえるだろう。
しかし、事態が公になり、社会問題化する中で宮川は自分の頭で考えるようになる。「犬」から「人」に変貌したと言っても良いだろう。
宮川が「ハチ公」のままであれば、「あれは、監督、コーチの指示を私が勝手に解釈してやりました。私の責任です」といって、彼一人が罪を被り、アメフト部を去ったことだろう。
しかし宮川は「人」になって、監督、コーチの指示の異常性を指摘し、自らの罪を認めつつも、事件の全容を明らかにした。
彼は「忠誠心」を失ったのではない。「忠誠心」の方向性を、「日大アメフト部」「内田正人」などから、「アメフトという競技」「スポーツそのもの」へと変えたのだ。その選択が正しいのは言うまでもない。

日大アメフト部の内田前監督らは「ハチ公」ならば当然自分が罪を被り、捨て石になるはずだと思ったのが、そうならなかったために、混乱をきたし、今も事態を収拾できないでいるのだ。

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日本社会では、こういう「ハチ公」が愛される。目上の者に盲従し、自己よりも周囲を優先するのが「立派な人」だとされる。
日本の教育も、もともとは「ハチ公」を作るのが大きな目的だった。「人と同じことをする」「秩序を乱さない」さらには「お国のために命を投げ出す」。

戦後になってもその姿勢は変わらない。そして日本のスポーツ界はそのなかでも濃厚にそういう気質を持っている。

野球の世界でも、日本は伝統的に「滅私奉公」が貴ばれた。
飛田穂洲以来、走者を進めるために犠牲になるのが良いとされた。
今も高校野球の指導者は「みんなで一緒になって勝利を目指す」という。いろいろな解釈ができるが、要するに個々が能力や個性を主張するのではなく、チームが一丸となって勝利を目指すということだ。エースや中心打者も、下位打線も、控え選手も、さらにはベンチ入りできない選手も「みんな一体となって」ということだ。一見、麗しく思えるが、要するに指揮官が都合の良いチームを作って、選手を従わせる。全員を「ハチ公」にすることで、チームを統御するということだ。

近年になって、そうした全体主義的なスポーツのやり方が、勝利のためにも選手のためにも「最善」ではなく、発展性がないことが明らかになった。人も育たず、チームも強くなれないのだ。

今の政権は、相変わらず多くの「ハチ公」を生んでいる。嘘をつきまくる彼らは、まさに「権力の犬」ではある。日大と大差ない体質に暗澹とするが、それはともかく、宮川泰介の姿勢に多くの人が感動し、賞賛したということは、日本社会が「ハチ公」的な倫理観をもはや支持していないことを意味している。

スポーツ界から「ハチ公」とその飼い主が一掃されれば、より健全に、強くなることだろう。



1985年佐藤義則、全登板成績【最多勝タイトルを獲得、昭和最後の20勝投手】



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