長く読んでくださっている方には「またか」と思われてしまいそうだが、野球ファンがここ20年くらいで大きく変貌したことについて、もう一度ふれておきたい。

野球は、サッカーなど他のスポーツと比べても、日本人への親和性が極めて高かった。
1877年前後に日本にやってきてから、何度も全国的なブームを起こしている。

一つは明治末年の「早慶戦」。あまりの過熱ぶりに中止になるが、のちに「大学野球」へとつながる。

大正から昭和にかけては「中等学校野球」。甲子園が満員になるなど、大人気となった。エリートが中心だった大学野球と異なり、中等学校野球は、全国津々浦々の学校に広がり、野球の競技人口を全国的に拡げた。高校野球はここから始まった。

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そして戦後のプロ野球ブーム。GHQの後押しもあって、今までの学生野球とは異なる「野球文化」が、子ども達に浸透した。子どもが三角ベースなど草野球に夢中になったのも、戦後のこの時期からだ。

昭和の時代、男の子が好きなスポーツと言えば、圧倒的に「野球」だった。テレビを点ければプロ野球、子供雑誌も漫画雑誌も野球一色。そんな中で「野球好き」の子供が大量に生まれた。

当時の野球ファンとは「球場に足を運ぶ人」ではなかった。まだ所得が低い家庭が多く、野球観戦は高嶺の花だった。また、高度経済成長期に、夕方から野球観戦ができるサラリーマンはそれほど多くなかった。今から半世紀前の1968年、NPBの観客動員数は、セ・パ合わせて890万人。セが605万人、パが285万人。昨年は2500万人、セが1400万人、パが1100万人。今の三分の一強だ。しかも半世紀前の数字は大幅に水増しされていた。当時の野球場は、巨人戦を除いてガラガラ。ちょっと工夫をすれば、タダで入場することも難しくなかった。

しかし、当時の男子は野球が大好きだった。テレビや雑誌、新聞から乏しい情報を得ていたが、ネットがある今に比べれば圧倒的に情報量が少なかったから、常に「野球情報の飢餓状態」だった。だから、近所で野球の試合があれば、子どもたちは見に行った。どことどこの対戦かは気にしなかった。

こういう形で「野球ならば何でも好き」な「野球好き」が大量に生まれた。そういう状態が戦後、半世紀近く続いたのだ。

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これに異変が起こったのは、20世紀末。1992年のJリーグの創設、さらにはF1ブームなど、スポーツの選択肢が一気に多様になったのだ。野球は「One of Them」になった。

こんな中で、昨日も述べた通り、ダイエーホークスの故高塚猛GMは「野球好き」の中高年男性客を球場に呼び込むのではなく「野球場で楽しむ」女性、子ども、若者をターゲットにした新しいマーケティングが始まったのだ。

それは正しい政策転換ではあった。スポーツのマーケットが細分化する中で、従来の「顧客層=野球ファン」ではなく、新たな顧客層を開拓したのだから。

これによって、プロ野球の観客動員は飛躍的に伸びた。それは素晴らしいマーケティングの成功ではあったが、野球のファンや競技人口がはっきり減少傾向に転じる中で、それでも「野球場は満員」という減少に危うさを感じているのだ。

昨日からの繰り返しになるが、「野球そのものへのロイヤリティがない顧客」が、いつまで球場に押しかけてくれるのか。そのことに危惧を抱いている。

原点回帰として「野球好き」を醸成する試みが非常に重要になってきていると思う。


そういえばチーム得点ってどうなりましたかね?|51試合終了時点



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