メガネのやさ男の一塁手という印象だ。南海にやってきたときは、かなり期待したが働かなかったなあ、と思った記憶がある。

公立のエリート校静岡高から早稲田へ。高校時代から有名な選手で、阪急がドラフトで指名している。

石井藤吉郎率いる全盛期の早稲田大学の中心選手。卒業後大昭和製紙を経てヤクルトに入団。

キャリアSTATS

Oda-Yoshihito


ヤクルト時代は知らない。ただこの時期のヤクルトは船田和英や最晩年のロバーツらが一塁を守っており、小田は普通に成績を残せばレギュラーが約束されていた。しかし期待に応えられず、3年目に日本ハムに大杉勝男と交換でトレードされる。

張本勲と1年だけ重なっている。この時期の小田は日生や大阪球場で見かけた記憶がある。ごっつい張本の後ろで細い小田が4番を打った。頼りない印象だったが、打率.319、張本のお株を奪う大活躍だった。

2年目もまずまずの働きだったが、南海の野村克也監督解任騒動の余波で、柏原純一とのトレードで南海にやってきた。
この頃の南海は弱いながらも片平晋作が伸びてきたところ。左の片平、右の小田のツープラトンで使われていたが、翌年片平がブレークして小田の出番は減った。

1981年オフに南海を自由契約になって近鉄へ。小川亨が衰えていた近鉄では、そこそこ頑張ったが2年で引退した。

小田はNPBでは一塁689試合、DH74試合。右投げ右打ちだが、一塁以外に守らなかった。不思議なことである。この成績で11年も選手生活を送れたのは幸甚だったと言えるかもしれない。

引退後は名スカウトとして鳴らす。青木宣親、田中浩康などヤクルトの早稲田大卒の選手はほとんどが、小田のスカウトによるものだ。

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そういえばチーム得点ってどうなりましたかね?|51試合終了時点



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