もう30年もたってしまったことに驚くが、週刊文春の人気連載に「糸井重里の萬流コピー塾」というのがあった。糸井重里が出すいろいろなお題に、読者塾生がコピーを寄稿するというものだ。

今から考えると不思議な気もするが、当時はメールがなかったからはがきで投稿していたのだ。コピーライターだった私は、毎週楽しみに読んでいた。
コピー=広告文案と言っても、マーケティング的に正しいものや、広告としてインパクトがあるものばかり選ぶわけではない。ずれたもの、笑えるものも採用していた。そのあたりのセンスが糸井重里流だった。ま、大喜利のようなもの。
出来の良いものから「松」「竹」「梅」とランクしたが、外れているがインパクトのあるものには「毒」という評価がついた。実は「毒」こそが萬流の真骨頂だった。

その1986年3月のお題が「春のセンバツ」だったのだ。この回の投稿を今見ると、昭和の野球がどんなものだったか、とか、今とは大きく違う規範意識などが見て取れて、非常に面白い。
ずらっと上げてみよう。

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この回は(毒)のオンパレードだった。

「俺から二万円取った奴が今ヒットを打った」(毒)
「私はこれで煙草を止めました-選手」(毒)
「わしをどつきよった奴がぎょうさん出てる」(毒)
「八百屋になりたくないので思い切って投げた」(毒)
「誰かの遺影が役に立つ」(毒)
「俺たちから野球を取り上げたらグランドしか残らない」(毒)
「そらセンバツより夏の方が興奮しまっせ、チアガールの体臭が違いまんがな」(毒)


度肝を抜く言葉が並んでいる。改めて思うのは、30年前に比べて我々はモノが言いづらくなったということだ。今、これらの文言を公の席上で口にしたり、メディアに掲載すれば、大炎上するだろう。

しかし今年の西武、今井の不祥事でもわかるように、高校球児は喫煙当たり前、野球を辞めたらチンピラになるしかないような奴もたくさんいたのだ。そして、そのことを周囲の人々はみんな知っていた。今のようにきれいごとにしようとはしなかった。

今、こうしたコピーがおおっぴらになることはないが、それは高校野球の現状が大幅に改善されたからではなく「隠すのがうまくなった」だけだろう。

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「こんな高校野球が年に二回も必要でしょうか?-行革を訴えるサンケイ新聞」(毒)
「必要はないが、わが社もやりたい サンケイ新聞」(毒)
「代理宗教戦争勃発、最後に生き残るのは神か仏か、それとも金か」(毒)


サンケイ新聞は当時から大新聞とは違うことをしていた。そして当時も宗教高校が強く、選手の引き抜きには裏金が横行していた。

「四割五割は当たり前―!」(梅)
「今年もいよいよ始まりました。さて、決勝でPLと当たるのはどのチームでしょうか」(梅)
「おおっと、チャンプ明徳が乱入してきたー」(毒)


1985年の甲子園と言えば、PL学園のKKコンビが絶頂を迎えていた。またこの年は明徳義塾が少女売春事件を起こして出場辞退をしている。

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「半年間のご無沙汰でしたーそうしたことがーの池西です」(梅)
「いながらにしてキャンプを張った九州チーム」(梅)
「まあ野球にもいろいろあるが、父さんならこれを勧めるな」(梅)
「他力本願(吹奏楽部)」(梅)


(毒)ではないこういうコピーもあった。この回は(松)(竹)はなかった。

これを読み返してみると、日本の規範意識や価値観は大きく変わっているが、野球は何も変わっていないことを痛感する。

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