昨日、試合前に故障した松坂大輔に代わって急きょ先発登板した藤嶋健人が、試合後のヒーローインタビューで。「(ウイニングボールは)両親に渡したい。野球を最初に教えてくれたのはお父さんなので」と語った。この「お父さん」に違和感を覚えた人は多かったのではないか。
巨人の昨年ドラ1、鍬原拓也も14日にプロ初勝利をしたインタビューで
「本当に先輩方が勝たせてくれた勝利だと思う」と感謝した。経済的に苦しい中で、女手一つで育ててくれた母・佐代子さん(49)はテレビで観戦。過去2度の登板は球場で見守られたが勝利を届けられず「次はお母さんの前で勝てるように頑張ります」と約束した。 スポニチ

話の内容は良いとして、一人前の社会人であるプロ野球選手が、公の場で「お父さん」「お母さん」と呼ぶことに、違和感を覚える。

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そういえば、覚せい剤中毒で野球界を失脚した清原和博も
「お父さんは無口な人でした。朝から晩まで顔を真っ黒にして働いていました」
「お母さんの手料理で一番思い出すのは、やっぱり肉の佃煮ですかねえ」

と話した。

私たちは、中学生くらいになると、人様の前では自分の親のことを「父、母と呼びなさい」と教え込まれたものだ。それは今も変わらないと思うが、いい歳をした野球選手たちは、なぜ、子どもみたいな甘えた言葉を使うのか。

清原はともかく、現役の選手は、球団からメディアへの対応の仕方、口の利き方の教育を受けていると思うのだが、その中に「肉親の呼称をどうするか」は含まれていないのか。
インタビューで「父、母、兄、姉」というのと、「お父さん、お母さん、お兄ちゃん、お姉ちゃん」と呼ぶのでは、話者の精神年齢が違って見えるのではないか。自我が確立していないように見えるのではないか。野球ばかりして、一人前の「大人」としての常識や覚悟を身に着けていないように感じられるのではないか。

確かに「言語」をめぐる価値観は流動している。いい年をした野球選手が「お父さん、お母さん」と言っても違和感を持たない人も結構いるとは思う。しかし、一方で私のように「小学生か、君は?」と突っ込みたくなる大人もまだたくさんいるはずだ。
少なくともアスリートが公の場で「父が、母が」ということで、不利益を被ることはないと思うが。

清原和博の場合は、大人になる過程で身につけるべき「常識」「気配り」「他者を気にした振る舞い」を教えてもらわないまま、大人になった愚かさを感じる。「野球馬鹿」のまま50歳になり、犯罪者になったことを物語っている。
若い選手と違って、清原の「お父さん、お母さん」は、彼の社会性の欠落を端的に表している。

球団の教育、というよりも、選手自身の「自覚」の問題として、一個の社会人たる野球選手は、親を「父が、母が」と呼ぶべきではないのか。

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