昨日のワールドカップ、日本VSポーランド戦は「スポーツ」と「勝負」は別のものだということを強く印象づけるものだった。

状況はみなさんご存じだろうから、くだくだしく説明しないが、日本とセネガルが相星になり、得失点差でも直接対決でも差がつかず、フェアプレーポイントという、極めて僅差での優位を得た時点で、日本は負けているにもかかわらず、全く攻めることなくボール回しに終始したのだ。
相手のポーランドはすでにグループリーグ敗退が決まっている。その上でこのまま時間が経過すれば勝利、勝ち点3で面目を保つことができるので、日本の時間稼ぎに強いて抵抗することなく両軍は時間を浪費するだけという、極めて消極的なスタイルのままゲームセットを迎えた。

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スポーツマンシップの定義はいろいろあるが、要するに
「正々堂々と全力を尽くして競技する」態度、姿勢であろう。日本の28日の試合の終盤は「正々堂々」としていなかったし「全力」も尽くしていなかった。下手をすれば「競技」さえしていなかったかもしれない。両軍は利害が一致した段階で競技をフリーズして、その時点での状況がそのままリザルトになるように談合したのだ。

その背景に、なんとしてもグループリーグを突破したいという日本側の執念があったのは間違いない。1つの試合ではなく、ワールドカップ出場国の立場を大きく考えれば「勝ち抜ける」ための努力であると説明することは可能だ。
しかし「勝負をしない」「競技をしない」時点で、すでにスポーツではなくなっている、という見方もできる。それはサッカーと言う競技に対する侮辱であり、観客へのリスペクトにかけた行為だったともいえるかもしれない。

そうして守ろうとしたのが「フェアプレーポイント」だったことは何とも皮肉だ。反則こそしなかったが、日本のやったことはフェアプレーとは正反対の行為だ。

野球では、得失点差などで順位が決まることはないし、時間経過で試合が終わる競技でもないので、こういうことは起こりえない。
しかし、よく似た状況はなくはない。本塁打などのタイトルを阻止するために満塁で打者を歩かせるような行為がそれにあたるだろう。
また、引き分けの規定が「3時間を超えて新しいイニングに入らない」というような「時間」だったときは、リミット間際になると遅延行為が散見された。それは非常にみっともない風景だった。

日本代表が行ったことは、ワールドカップが単なるスポーツ競技会ではなく、国の威信をかけた疑似戦争だと考えるなら、肯定できるのだろう。しかし、スポーツを愚弄する行為だったことは間違いない。

この行為が前例となって、あからさまな時間稼ぎがペナルティの対象になるようにルール改正される可能性はあろう。そうなったとしてそれが「ジャパンルール」とでも呼ばれるとしたら、これほどの恥辱はないはずだ。

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このたびはスポーツの神様は日本を甘やかしすぎた。だらだら遅延行為をしている間に、セネガルがカウンター攻撃であっという間にコロンビアのゴールを陥れ、引き分けに持ち込んだ、などというハプニングを起こして、日本の横っ面を張り倒しても良かったのだと思う。
スポーツには「流れ」「運気」などという得体のしれないものがある。今回のせこい行為で、日本はそれを失った可能性は大いにあろう。
次のベルギー戦が、惨敗に終われば、まさに「罰が当たった」ということになろう。そうならないためにも、日本は次の試合では決死の覚悟で戦ってほしい。



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