長谷川晶一 『最弱球団 高橋ユニオンズ青春記』





サンダーバードでいえば4号、「笑点」では六代目円窓が好きだった私にとって、高橋ユニオンズは、あこがれの的だった。私の生まれる前にパリーグに3年間だけ存在して、通算勝率.348で大映、毎日に吸収されて消えた球団。そもそも「高橋」とは個人の名前だという。オーナーが金を出して個人で運営していたという。いったいどんな球団なのか、小さいころから気になっていた。
もちろん、断片的な情報は得ていたが、このたび、高橋ユニオンズの「通史」ともいうべき本が出た。著者は『イチローのバットがなくなる日』の長谷川晶一さん。面白くないはずがない。
この球団は「永田ラッパ」こと大映の永田雅一に唆された財界人の高橋龍太郎が私財を投じて作ったチームだ。7球団のパリーグを8球団にするための施策であり、リーグ各球団がこぞって応援をするという約束だったのだが、ふたを開けてみると各チームの不用品だったロートル選手、呑んべえ選手が供出されたのみ。以後3年間、このチームは下位を低迷するのだ。
高橋ユニオンズといえば、佐々木信也をすぐに思いだす。チームで唯一のスターであり、むしろ引退後にプロ野球史に残る存在になった。佐々木信也ほどプロ野球と相性が良かったキャスターはいない。「プロ野球ニュース」の冒頭で、この人の「いやー、ものすごい試合でしたねえ」を聞くと、「11PM」にチャンネルを換えようと思っていた手が止まったものだ。このひとの功績は、巨人一辺倒とは別次元の、深くて面白いプロ野球、つまりパリーグの魅力を世間に知らしめたことにあると思う。そもそも佐々木信也は人気のないパリーグの、しかもお荷物球団の出身なのだ。彼がパリーグに注ぐ眼差しはことさら熱かったに違いない。
この本でも佐々木信也は貴重な証言を多く残している。1956年、湘南高校で甲子園を制し、東京六大学の大スターとして鳴り物入りで高橋に入団した。彼は練習が終わると宿舎で素振りをしたり、トレーニングをするのが日課だったが、高橋の選手はだれ一人そういうトレーニングはしなかったという。練習が終われば宿舎でマージャンをするか、飲みに出かけたのだ。当時のプロ野球選手の意識、レベルがよくわかるエピソードだ。率直に言って、この当時稲尾和久が42勝できたのも、杉浦忠が37勝できたのも、こうしたレベルの低い選手が数多くいたからだろう。
作者は高橋、トンボユニオンズの薄倖な3年間を淡々と、丁寧に追いかけている。3年目の最終戦で勝率.350をクリアし、罰金500万円を逃れた高橋ユニオンズだったが、球界再編の機運が高まり、4年目のシーズン前に解散が決まる。このときの旗振り役も永田雅一。リーグに混乱をきたす奔放な言動は、何やら現在の球界盟主の老人を思わせないでもない。しかし永田雅一ははるかに陽性であり、その上常にリスクも背負い続けた。最後は映画斜陽化の中で無一文で世を去るのだ。経営者としての身の処し方は弁えていたように思う。偉そうなことは言うが、リスクを負う気はさらさらない老人とはここが違うと思う。
話がそれた。この本は、おいしいエピソードの宝庫である。『野球小僧』連載中から注目していたが、さらに加筆充実しての上梓だ。装丁は平野甲賀。買って損はない一冊だ。

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