「西野ジャパン」をめぐる議論、なかには低レベルで石頭のコメントもあったにしても、多くは非常に有意義だった。サッカーや野球と言うジャンルを超えて、「フェアプレー」とはどういうものか、「勝利」を求められる中で、指導者やアスリートはどうあるべきか、を一緒に考えることができたのは素晴らしかった。
かつては「1対1」「チーム対チーム」の「ゲーム」だったスポーツは、興行として発展するうちに、複雑な組織やルールを持ち、多くの試合を人々に見せるようになった。

それとともに「リーグ」「シーズン」「トーナメント」など、「ゲーム」の上の概念が生まれるようになった。
「ゲーム」しかなかった時代は、その試合で全力を尽くすのが「スポーツマンシップ」であり、フェアプレーとは「全力」の同義語だった。

しかし多くの試合をこなしてその総合的な勝敗を競ったり、勝ち抜きでツリーを上るようになると、目先の「勝利」のためだけに全力を尽くすのではなく、リーグ戦やトーナメントでの「最終勝利」を目指すことが、大きな目的になる。

そうなると、中には「捨てゲーム」のようなものも出てくる。もちろん、その試合も「勝利」を目的にしているが、戦力配分としてメンバーを落とさざるを得なくなるのだ。
こういう試合は「スポーツマンシップ」にのっとって正しいと言えるのか、フェアプレーと言えるのか。
そういう疑問も出てくる。観客の立場でいえば「捨てゲーム」を見せられてがっかりすることもあるだろう。

IMG_0130


Jリーグでは「メンバー規定」がある。先発メンバーに「プロA契約選手または外国籍選手を合計6名以上含まなければならない」というものだ。これは、リーグ戦のクオリティをお客に保証するものだ。それでも「捨てゲーム」はあるだろうが、試合のレベルが極端に落ちることを食い止めるセーフティネットの役割を果たしている。

NPBにはそういう規定はないが、支配下登録、ベンチ入りなどの選手のステイタスは、それに近いかもしれない。

それでも「捨てゲーム」はできてしまう。重要度が低い試合では、重要でない選手が出場する。プレーの内容が落ちることもある。
指導者や選手は、そういうときにこそ「勝つための最善の努力を怠る等」の疑念を抱かせないようにする必要がある。重要でない試合でも、現有戦力でベストを尽くす。それが大事だ。

野球で言えば「控え野手」「敗戦処理投手」などは、普段は試合に出る機会に恵まれない。それだけに「捨てゲーム」であっても、試合に出るのは千載一遇のチャンスであり、活躍して「控え」「敗戦処理」を抜け出そうとする。その努力はスポーツマンシップに沿っているし、フェアプレーでもある。また、指揮官にとっても普段あまりプレーを見ない選手の個性や長所を見極めることは、有意義であるし、スポーツマンシップにものっとっている。

スポーツは「やる」「見る」「支える」という3つのステークホルダーで成っているが。「見る」つまり観客は「捨てゲーム」の意味を理解し、そこにも意義を見出し、控え選手の試合をしっかり見ることが大事だろう。

IMG_5161


ただ西野ジャパンのポーランド戦は「捨てゲーム」ではない。選手も「控え」ではなかった。ただ残念なことに「全力プレー」をしていたかどうか、ということに疑念が残ったのだ。その点がリーグ戦における「捨てゲーム」とはニュアンスが違う。
リーグ戦やトーナメントなどでは、場合によってはメンバーを落とすこともあり得るが、そうした選手が「手を抜く」「調子を落とす」ことはあってはならないということだ。
西野ジャパンがそうしたと言っているわけではないが、少なくともそのような疑念、誤解を抱かせるプレーではあった。だから西野監督は試合後、選手に謝罪したのだ。

この問題は難しいが、今回のワールドカップの問題と、野球の敗戦処理を一緒くたにしている人がいたので、私なりに考えてみた。

あと7時間ほどでベルギー戦だ。別にどっちが勝ってもいいが、この試合の結果でポーランド戦の評価も変わってくるだろう。で、この議論はひとまず完結するはずだ。私は寝るので、生では見ないけども。



今年度の「宇佐美式勝利打点」を調べてみました|6月24日終了時点



私のサイトにお越しいただき、ありがとうございます。ぜひコメントもお寄せください!

好評発売中!