ジャイアンみたいな大僧が大粒の涙である。山崎武司はやめたくないと泣いたのだ。今季の山﨑は102試合に出て11本塁打48打点.229、OPS.651、RCは36.5。年俸は2.5億円。チームとしては、この程度の成績の選手と契約を継続することはできない。至極真っ当な戦力外通知だ。しかも敬意を表してコーチ就任まで要請している。
しかし、山﨑は、このオファーをけって退団、現役続行を決めたのだ。
この選手はすでに2度、引退の危機から這い上がってきた。それだけに、もうひと花という気持ちもあるのかもしれない。別に球団に居座って不成績でも雇ってくれろ、と強要しているわけではないから、彼を責める筋合いはない。
しかし、最近、もう十分に野球をやりつくしたと思える四十男が、成績が落ちても野球にしがみつく例が非常に多くなっている。先日の田口壮がそうだ。高津臣吾もまだ投げている。金本知憲も彼らの仲間だ。今年は登板機会がなさそうな山本昌、48歳になる工藤公康もまだ現役にこだわっている。なぜなのか?
一つは、同世代で頑張っている選手が増えたことが大きいと思う。海の向こうでは、41歳の斎藤隆がワールドシリーズに駒を進めようとしている。また、NPBにも各球団に1~2人くらいはアラフォーから四十代の選手がいるようになった。彼らは孤独ではないのだ。もちろんその背景には、トレーニング方法やメディカルケア技術の飛躍的な進歩があるのだが。
1977年、南海ホークスを追われた42歳の野村克也はロッテ、西武と渡り歩いたが、若い選手の中で、彼は孤独だったに違いない。ロッテに入団した年には、「これでポジションがなくなる」と32歳の捕手村上公康が引退。ここまであからさまではないにしても、大選手の突如の加入は、選手にとっては有難迷惑だったはずだ。同時期の張本勲、後年の落合博満、清原和博らの最晩年にも、孤愁が漂っていたものだ。
しかし、今は、元気ならばおっさんだろうが、じじいだろうが、大っぴらに活躍できる時代になった。「いい年をして現役にこだわって」という遠慮はしなくて良くなっているのだ。
いい時代が来たとは思うが、では彼らは“いつまでやるのか”“どうなったらやめるのか”が見えてこない。
かつて、名選手、大選手の多くは、自分の引きどきを演出したものだ。多くの選手は「惜しまれているうちに辞めたい」といったものだ。しかし、そうした“美学”は、今どき流行らなくなったのだ。四十男は「やめ方がわからなくなっている」のかもしれない。
しかし、おじさん選手が増え続けると若手の活躍の場が減る。世代交代が遅くなる。さらに、指導者層が薄くなる懸念もある。今は過渡期なのかもしれないが、何らかの「新しい引き際の美学」(たとえば孫ができた、とか、年金が入るので、とか 冗談です)が必要になのかもしれない。
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この選手はすでに2度、引退の危機から這い上がってきた。それだけに、もうひと花という気持ちもあるのかもしれない。別に球団に居座って不成績でも雇ってくれろ、と強要しているわけではないから、彼を責める筋合いはない。
しかし、最近、もう十分に野球をやりつくしたと思える四十男が、成績が落ちても野球にしがみつく例が非常に多くなっている。先日の田口壮がそうだ。高津臣吾もまだ投げている。金本知憲も彼らの仲間だ。今年は登板機会がなさそうな山本昌、48歳になる工藤公康もまだ現役にこだわっている。なぜなのか?
一つは、同世代で頑張っている選手が増えたことが大きいと思う。海の向こうでは、41歳の斎藤隆がワールドシリーズに駒を進めようとしている。また、NPBにも各球団に1~2人くらいはアラフォーから四十代の選手がいるようになった。彼らは孤独ではないのだ。もちろんその背景には、トレーニング方法やメディカルケア技術の飛躍的な進歩があるのだが。
1977年、南海ホークスを追われた42歳の野村克也はロッテ、西武と渡り歩いたが、若い選手の中で、彼は孤独だったに違いない。ロッテに入団した年には、「これでポジションがなくなる」と32歳の捕手村上公康が引退。ここまであからさまではないにしても、大選手の突如の加入は、選手にとっては有難迷惑だったはずだ。同時期の張本勲、後年の落合博満、清原和博らの最晩年にも、孤愁が漂っていたものだ。
しかし、今は、元気ならばおっさんだろうが、じじいだろうが、大っぴらに活躍できる時代になった。「いい年をして現役にこだわって」という遠慮はしなくて良くなっているのだ。
いい時代が来たとは思うが、では彼らは“いつまでやるのか”“どうなったらやめるのか”が見えてこない。
かつて、名選手、大選手の多くは、自分の引きどきを演出したものだ。多くの選手は「惜しまれているうちに辞めたい」といったものだ。しかし、そうした“美学”は、今どき流行らなくなったのだ。四十男は「やめ方がわからなくなっている」のかもしれない。
しかし、おじさん選手が増え続けると若手の活躍の場が減る。世代交代が遅くなる。さらに、指導者層が薄くなる懸念もある。今は過渡期なのかもしれないが、何らかの「新しい引き際の美学」(たとえば孫ができた、とか、年金が入るので、とか 冗談です)が必要になのかもしれない。
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