若い方だろうと思うけど、当サイトで
「「昨日の試合見ました?」とか「あの作戦どう思いました?」があいさつになるなんて野球じゃめったにないもんなあ。
というコメントをいただいた。時代は本当に変わったのだ、としみじみ思った。
今から半世紀ほど前、テレビ台数は世帯数を上回り、ほぼ全世帯でテレビを見るようになっていた。
午後7時になると、プロ野球中継が始まる。NHKは、まんべんなく各チームの試合を中継したが、民放は巨人戦だけ。後楽園の試合は日本テレビ(関西なら読売テレビ)、他チーム主催の巨人戦はTBSやNETなど。「野球中継」とはほとんど「巨人戦」のことだった。
8時54分になると、試合途中であっても中継は打ち切りになる。たまに「スポンサーのご厚意」で、2~3分延長されたりする。で、「試合の結果はスポーツニュースでご覧ください」となる。
だれも、不満は漏らさなかった。

で、翌朝、お父さんたちは駅でスポーツ新聞を買って出勤。子どもたちは朝刊で野球の結果を見て登校する。
教室では、男子は、昨日の有名選手たちのプレーを一生懸命真似するのだ。「柴田の盗塁失敗が痛かった」「いや、お父さんはエンドランのサインを長嶋が見落としたんだと言っていた」などなど、昨日の野球についてほぼクラス全員が侃々諤々。
先生が入ってきて「話やめーい!」と一喝して子供たちは黙るが、野球好きのエネルギーは体の中にためられている。

これが爆発するのが、昼休みだ。給食を掻きこんだ男子は校庭に飛び出し、棒っ切れを片手に軟式庭球で野球をするのだ。そういう遊びを禁止している学校もあったが、そういう学校ではハンドベースボールをしたりした。
昼休みが終わって掃除の時間になると、モップや箒でぞうきんを丸めたボールを打つ。

そして放課後は、近所の公園で野球遊び。人数が足りないときは、三角ベースになることもある。

当時もサッカーの日本リーグがあり、ワールドカップもやっていたが、話題になることは一切なかった。私の友人にヤンマーのサッカー部の仕事をしている家の子がいて、釜本邦茂など当時のサッカー選手のサインの寄せ書きをもらったが、それが何であるのかさえ理解できなかった。

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クラスの誰かが「今日プロ野球に連れて行ってもらう」と聞くと、心の底からうらやましく思った。「サイン貰ってきて」「ファウルボール取ってきて」「テレビに映ったら手を振って」などと無理な注文をした。ちなみに当時、ファウルボールはもらえなかった。

ピークは1968年「巨人の星」の放映が始まった頃だろうか?私は9歳だったが、花形満が星飛雄馬の大リーグボールを打った回の夜に、そのシーンが夢に出てきて、夜中にうなされたことを覚えている。

とにかく、その頃の男の子の大半は、寝ても覚めても「野球、野球」だった。それは大人も同様だった。得意先での話のとっかかりも、飲み屋での馬鹿話も、みんな野球。
当時、男子と生まれて一度はなりたい職業として「総理大臣」「オーケストラの指揮者」「プロ野球の監督」が挙げられていたものだ。

円谷プロの怪獣モノがブームになって、野球のシェアは多少減ったが、それでも野球に対する子供の熱気はすさまじいものだった。

昭和の終わり頃から、各地の公園で「野球禁止」の張り紙が広がったのは、どこでも野球遊びをする子供たちの野球熱が猖獗を極めていたからだ。公園管理者や一部の大人は、これに手を焼いていたのだ。

そういう時代もあったのだ。信じられないだろうけど。

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