『神様がくれた背番号』松浦 儀実 楓出版
内野席でプロ野球を観戦している私のところに、ファウルボールが飛んでくる。素手でワンハンドキャッチした私は、やおら立ち上がって外野へ矢のような球を投げる。球は一直線に伸びて、バックスクリーンにぶち当たる。選手も観客も凍りついたようになって球が投じられた方向に顔を向ける。「あれは誰だ、調べてこい」監督がスコアラーにあわてて命じる。
こういう妄想、抱いたことないですか?
20111009-kamisama


素人が突然、力をつけて、プロ野球で大活躍をする、というのは野球ファンなら誰しもが思い描く「夢」だ。
1949年に封切られた米映画「春の珍事」以来、いくつかそういうストーリーの小説や読み物が刊行された。『神様がくれた背番号』も、いわば同工異曲だ。しかし、一気に読むことができた。
それは、第一に、同じような話であっても、何度でも「夢」を見たいという、私の野球ファンとしての根源的な欲求がある。加えて、この作家の「これが書きたかった」という吹きこぼれるような気持ちが、ページをめくらせたのだ。




長らく商業文を書いてくると、つるつるとのど越しは良いが、何も記憶に残らないという文章を書く癖がついてしまう。常々自戒しているところだが、この作家は、まるで小さな彫刻刀で固い木を刻むように、たくさんの言葉を倦むことなく重ねていく。細かな描写も厭わない。「伝えたいことがある」という熱意が、のど越しは悪く、歯ごたえはあるが「次を読みたい」と思わせる文章となっている。
主人公は、40歳のホームレスの男。彼が「神」から野球の力を与えられて、阪神タイガースに入団するのだ。「力」が世間にばれて、プロ野球入りするまでの経緯は、この種のストーリーの読ませどころだが、この本は、あっけないほどに技巧を弄しない。主人公は人々の善意に導かれて阪神のユニフォームを着るのである。そう、この小説は「善意」というふわふわの「仮想」に載っている。
私がこの作品にすんなり入っていけたのは、つい3年前まで天王寺界隈に住んでいたことも大きい。作家はしつこいまでに細かな描写にこだわり、それによってディープな大阪の巷の猥雑さ、むさくるしさを醸しだしている。その一見過剰な描写が、甘味なストーリーにリアリズムをまとわせている。
登場人物の多くは実在の人物。無造作にキャストを組んでいるように見えて、とっくに世を去った人物が重要な役割をはたしていたり、引退したはずの外国人選手がさりげなく顔を出していたり、作家の阪神への思い入れは相当なものである。主人公のホームレスの男は吃音者でほとんどセリフがないが、もう一人、重要な登場人物が、たった一種類の言葉しか発しないという面白い演出もしている。まるで、見えないところにまで毛彫りを施す木彫り職人のようだ。
読む進むうちに文章がどんどん滑らかになっていくことに気がつく。小説を書くうちに、作家が脱皮していくように感じられる。良い小説は常にそうだが、終幕に向かうにつれて、読み進むスピードが速くなった。
濃密な描写をしてきた作家だが、最後は大きくストーリーを跳躍させ、印象的なエンディングにしている。
聞けば元阪神の矢野燿大さんがこの小説のファンだという。阪神の選手も捨てたもんではないな、と生意気ながら思った次第。

私のサイトにお越しいただき、ありがとうございます。ぜひ、コメントもお寄せください!