良い議論がコメント欄で行われているので、私なりに整理をしておきたい。

現在のNPBでは、日本の学校制度で育ったアマチュア選手は、すべてドラフト制度によって指名された球団に入らなければならない。ドラフト外出の入団は1992年を最後に廃止されたので、例外はない。

ドラフト制度が12球団の承認によってスタートしたのは1965年のことだ。しかし選手が特定の球団に行くための「ドラフト破り」が横行した。
その最悪の例が、1978年の江川事件だ。江川卓は阪急、クラウンと2度のドラフト指名を蹴って海外に留学、クラウンとの交渉期間が切れるドラフト前日に「空白の一日」があるとして巨人と契約した。
コミッショナーはこれを認めず、巨人にはこの年のドラフト参加を禁じる措置をとった。しかしコミッショナーの「強い要望」として江川を1位指名した阪神と巨人の間でトレードがあった。
この間、世間は紛糾した。多くのメディアが巨人の行いを非難したが、讀賣新聞は「自分が入りたい球団に入れないのは職業選択の自由に反する」という論陣を張った。しかし讀賣の主張は大きな支持は得られなかった。

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一つには「ドラフトの導入」には、当の巨人も合意していたということがある。「職業選択の自由」を言うなら、1964年、設立段階で問題提起言すべきであり、施行後13年も経って今更蒸し返すのは、自チームに意中の選手を得たいがための「我田引水」であるとみなされた。

また、ドラフト制度は施行後十数年で、十分に所期の目的を達していた。
「所期の目的」とは1.天井知らずの選手獲得競争の是正。2.各球団の戦力の均衡である。
ドラフト前まで、各球団は選手や後援者の自宅にボストンバッグ一杯の札束を用意して選手を買おうとしていた。これは球団、親会社の財政を圧迫していた。ドラフト制度と言う不完全ながらも一定のルールができたことで、少なくとも札束が舞うような事態はなくなった。
さらに、ドラフト施行前は巨人、南海、西鉄くらいしか優勝争いにからまかなかったペナントレースが、百花繚乱の賑わいになった。以後、近鉄、広島、ヤクルトが初優勝、中日、阪神、横浜なども久々に優勝し、野球ファンは全国に広がった。
ドラフト制度がなければ今の「カープ女子」もあり得なかった。

またドラフト制度は、アマチュア側からしても大いにメリットがあった。選手獲得に指導者や周辺が巻き込まれて醜態を演じることや、手塩にかけて育てた選手が突然引き抜かれるトラブルなどで、アマチュア側はプロアマ規定を設けて、プロとの交流を遮断した。
ドラフト施行後もプロアマのトラブルは根絶されたわけではないが、少なくともドラフトのルールができたことで、アマチュア関係者を巻き込んだ大きなトラブルは減少した。どんなに札束を積んでも、ドラフトでくじを引き当てない限り選手を獲得することは不可能だから、そういう金の使い方がなくなったのだ。

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ドラフト制度は確かに「職業選択の自由」に抵触する可能性はある。また「独禁法」にも違反しているという議論が、日米にある。アメリカでは実際に訴訟も起きているが、今のところドラフト制度を廃止するような判例はない。

ドラフト制度はプロ、アマ球界の共存共栄のための、ベストではないにしてもベターな方法論だったのは間違いない。導入から53年が経過し、社会的合意が形成されていると考えるべきではないか。



2012~14年中後悠平、全登板成績



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