糸井の報道を追いかけて、メディアが相も変わらず「怪我を推しての強行出場」を賛美していることにあきれた。
見出し
スポニチ
糸井 新たな超人伝説 骨折しながら出場「打撃?全然大丈夫」
デイリー
糸井、復活へ光 骨折完治せぬ体で代打!凡退も魅せたフルスイング
日刊
骨折の超人糸井が代打!場内どよめき「できる限り」


一般的に、トップクラスのアスリートが負傷したとして、それが完治せぬままに試合に出場するのは「良いこと」なのか「良くないこと」なのか。
答えは明らかだろう。
一流のアスリートは、万全の体調で出場して高いパフォーマンスを示すことで、大きな評価を得、報酬につなげている。
アスリートにとっては、体調管理も仕事のうちであり、完治せぬままに試合に出るのは、プロ意識の欠如あるいは軽率のそしりをまぬかれない。

プロ野球は子供の手本と言われるが、怪我をしているのに試合に出ることなど、良い手本であるはずがない。
スポーツ医学の教科書で、こうした強行出場を肯定したものは一つもないと思うが。

もちろん、糸井は「野球協約86条」という"悪法"のために、止むに止まれず出場に踏み切ったのだ。同情の余地はあるが、賛美するようなものではないだろう。

IMG_6064


なぜか新聞社はこういうのをよく賛美する。
自分のみを顧みず試合に出ること、チームに貢献することは「滅私奉公」であり、うるわしいことだという認識があるからだろう。
昔のサラリーマンは「40度の熱があっても会社に行った」とか「入退院を繰り返しながら仕事をつづけた」みたいなことを美談めかして言っていた。別に本人がそれでよいのなら、死にかけでも仕事をすればよいが、好き好きの問題であって、それを周囲が賛美する必要はない。
そういう風潮が同調圧となって、退潮が悪くても休めない、ブラック企業化につながったのだ。

そういうことを報じるメディアの一員でありながら、まだこの手の「滅私奉公賛美」の風潮があるのは嘆かわしい限りだ。

メディアは、糸井の強行出場に際しては、協約の制度上の不備を指摘するとともに、糸井と言う得難い選手が自重するように主張すべきだと思う。残念ながらそういう論調は見ることができなかった。

これから、過酷な高校野球の夏の大会が始まるが、狂おしいような炎天下の野球をメディアは、にぎやかに賛美するのだろう。
世界一過酷な環境で選手の多くが、豊かな可能性を消耗、摩滅していくのを、メディアは「美しきかな」と鉦や太鼓で囃し続けるのだろう。愚かしいことだ。



2012~14年中後悠平、全登板成績



私のサイトにお越しいただき、ありがとうございます。ぜひコメントもお寄せください!

好評発売中!