内田樹さんが、日本人の体質としての「敗北主義」について書いている。
「行き着くところまで行く」というのは、言い換えると「このままの方向に進むととんでもないことになるということがわかっていても、手をつかねて何もしない」ということである。「最悪の事態が到来するまで何もしない」というのは日本人の宿痾である。

どれほど危機的な事態に遭遇しても、何もしないで先送りして、ますます事態を悪化させることに長けた人々ばかりで日本社会の指導層が占められるようになった。それが現状である。

内田さんは政治のことを言っているが、昨今の高野連も同様の状態になりつつある。
いくら鈍感な高野連の幹部でも、今年の猛暑が深刻なことはわかってはいるはずだ。
しかし、抜本的な対策は何もしない。

先ほど紹介した埼玉県高野連・高間薫専務理事の
「ちょうど期末試験が終わり、体が慣れていないんじゃないかな。対策を考えないと。毎日これでは困る」
は、深刻な事態を矮小化し、高野連自らは何もしないことを意味している。「対策を考えないと」とは言っているが、各校に「気を付けるように」と御触書を回す以外には何もしないだろう。

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先日、氏原英明さんが千葉県の高野連について、勇気ある記事を書いた。

過密日程の高校野球へ3つの提案と、千葉県高野連の「約束」

この記事で氏原さんは、過密日程を何ら改善することなく放置している千葉県高野連に、鋭いインタビューをしているが、千葉県高野連も、他人事のようなコメントに終始している。

要するに、高野連は今の高校野球を運営する自覚も責任感もない。ただひたすら「現状維持」にまい進しているだけだ。

これは、第二次世界大戦間際の日本の状況にもよく似ている。戦えば破滅することが明らかなのに、そこへ向けた流れを食い止めることができない。当事者があたかも他人事のようにしか、モノを言わない。

そしてその周辺で無責任に焚きつける連中がいることも同様だ。安っぽい精神論や、美辞麗句が飛び交うことも。そして、破滅の片棒を新聞が担うことも。

「最悪の事態が到来するまで何もしない」というのは、日本の組織に限って言えば、実はそれなりに合理的な解である。そのことは残念ながら認めなければならない。というのは、日本人は「最悪の事態」について考えると、とたんに思考停止して、絶望に陥り、使い物にならなくなるからである。

率直に言って、高校野球は一度破滅しないと、何ら事態は動かないのではないかと思う。
みんなが当たり前のことを当たり前に感じ取り、「やばいこと」は「やばい」と言い出さないと、物事は前には進まない。

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