昨日、新聞の話をしたら「所詮、新聞社だって営利企業だから」と言うコメントがあった。最近の人は何も勉強していないのだな、と言う思いを強くした。
「営利企業」というのは、自社で商品なりサービスなり、情報なりを販売してその収益で企業を維持発展させる企業だ。何をしても自由だと思われるかもしれないが、メーカーにはメーカーの、商社には商社を取り締まる法律もあり、業界倫理も規範もある。企業は「法人格」という「人格」をもつ社会的存在だから、責任もあるし、社会に貢献しなければ存在を許されない。

新聞、テレビなどの言論機関は、その形態が「営利」であれ「公共」であれ、自由な言論を発信する機関であれば、民主主義の重要な要件である「言論の自由=フリープレス」の担い手として、重要な社会的責任を有する。
言論の自由とは、何を言っても良い自由である。日本では「公平性」「中立性」などと勘違いされているが、そうではなくて、言論機関や記者が感じたことを「自由に発言し、出版する権利」である。よって立つ背景が異なれば、言論の中身は変わってくる。その中身をそのまま発表する権利があるのだ。
何でも発言する権利があるから、政治家や権力者、大企業、反社会勢力などの不正も暴くことができる。民主国家であれば、その権利は国家そのものが保障している。
報道機関が営利であれ公共であれ、誰にでも話を聞くことができる「取材権」を付与されているのは、それが民主主義を維持するために必要だからだ。

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それだけに言論機関には、何か問題を発見すれば、それを「直ちに」「あますところなく」「明確に」明らかにする責任がある。
誰かの圧力を受けたり、特定の人や組織に利益誘導をしたり、何かに忖度することがあってはならない。

高校野球の問題が悩ましいのは、言論機関である朝日新聞、毎日新聞が「甲子園大会」という興行を主催しているからだ。
彼ら新聞社が高校野球を考案し、これをここまで大きい大会に育ててきた。高野連も実質的に新聞社の影響下でここまで維持されてきた。

最近になって高校野球のいきすぎた「勝利至上主義」や「選手の酷使」、「酷暑の中での試合」などが批判されている。
健全な言論機関であれば、まっさきにその矛盾を突き、厳しい論陣を張るべきだが、朝日も毎日も自分たちが主催しているから、それを指摘できない。
これはまさに言論機関にとって「自殺行為」だ。

イギリスの公共放送であるBBCは、公共放送でありながら政府を痛烈に批判することで知られている。またBBCは自社の幹部や記者などが不祥事を起こせば、他のメディアよりも早くこれを報じ、当事者を厳しく非難する。
そうすることがメディアの信頼を保つうえで重要であることをよく知っているのだ。

朝日新聞や毎日新聞は、自社主催の野球大会が悲惨な状態になっていることをスルーし、報道しないことで「墓穴を掘っている」と言う自覚はあるのだろうか?

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