野村克也より2歳年長の85歳。歳に不足はないが、また寂しくなった。



高松高校から中央大。高松商ではなく、勉強ができるほうの学校。三原脩の同窓だ。
中央大時代に2年連続首位打者。当時東都大学史上最多の通算111安打を記録(1966年に駒沢大の大下剛史がこれを抜く)。

「あなた買います」という映画にもなった争奪戦で南海に入団。同郷の水原茂(巨人)、三原脩(西鉄)らの強烈な勧誘があったが、1年先輩の円子宏を見に行った時に声をかけて以来、何くれとなく相談に乗っていた鶴岡一人への義理を立てて、南海に入団した。仲介者として中央大先輩の深見安博の名前がある。

キャリアSTATS

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デビュー戦でサヨナラ本塁打を打ってファンを沸かせたが、以後はぱっとしなかった。

足が遅かったうえに、右投手の内角攻めに弱く、一線級の投手にカモにされた感がある。

当初は三塁手だったが、3年目には外野転向。足が遅いため左翼が定位置。

南海は専修大の杉山光平、法政大の長谷川繁雄、立教大の大沢啓二、中央大の穴吹義雄と各大学の花形選手をそろえていたが、中心打者になったのは、高卒たたき上げの野村克也、広瀬淑功だった。

穴吹は下位打線を打つわき役として13年間プレーし、1968年に引退。オールスター戦にも出場せず、プロのキャリアは地味だった。

引退後はコーチ、二軍監督として若手を指導。とにかく、元気の良い、明るい指導者だった。

試合前、ベンチの前で選手に声をかける。「へい!クボジ!」「行こうぜ立石」「ガミ!がんばれ」クボジは故久保寺雄二、ガミは湯上谷だ。
中もず球場や大阪球場で聞いた野太い声が今も耳に残っている。

野村克也退任劇に絡んで77年に監督代行。83年から監督。

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この時期の南海は、どうしようもなく弱かった。とにかく金がなかった。穴吹監督にも手の施しようがなかったというところだ。

ダイエーホークスの編成部長も務めたから、マネジメントもできる人だったのだろう。

解説者としても明快で聞きやすかった。

懐かしい人がまた一人逝った。

穴吹義雄、チーム別&投手別&球場別本塁打数|本塁打大全


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