東スポは、およそ忖度ということをしないから、一般紙やスポーツ紙では見ないような面白い記事をよく発信する。朝日、毎日の記者で斎藤佑樹にこの話を聞こうという人はいないだろう。
金農・吉田の881球と進路に948球・斎藤佑樹の金言

斎藤:そうです。結局どうなろうと、投げてる本人が最後に責任を取るわけじゃないですか。もちろん監督もエースに投げてほしい気持ちはあるでしょうけど、強制的に投げさせるなんてことは今の時代、絶対ないはずで、あったとしてもそんな学校は地方大会で負けているはずですから。

プロ野球であれば、投げてる本人が責任を取るのは当然だが、高校の部活で今後の競技生活に影響を与ええかねない深刻な責任を取らせることは考えられない。それに強制的に投げさせることはないにしても「周囲の期待」「同調圧」は間違いなくある、それにあらがって「投げない」選択ができる高校生はまずいない。
無責任な「自己責任論」は今の日本にはびこっている。モノを深く考えない日本人が増えたからだろうが、これは「教育」や「社会的責任」を放棄している。もし本当に高校生が自己責任で何でも判断しなければならないのなら、学校、高校教員の存在は必要ないということになろう。

だからこそ「大人の正義感」のような観点から物を言うべきじゃない。100年も前からある大会ですし、今年を機に一気に変わるような話じゃないですからね。

今こそ「大人の正義感」を発揮して、100年の歴史がある高校野球を一気に変えるべき時が来ている。

「甲子園で優勝すること」が一番の目標でしたから。「投げ過ぎた」というよりは「投げさせてもらった」という気持ちのほうが強いですね。

目上の人が喜びそうなことが言える斎藤佑樹らしい。

彼のこのコメントは、「あの948球の後の斎藤佑樹がどうなったか」という結果論と照らし合わせれば、その底意が見えてくる。

彼は早稲田ではそれなりに活躍してドラフト1位で日本ハムに入ったが、結局、高校時代のパフォーマンスを取り戻すことなく今に至っている。
高校時代の活躍を否定するのは、「今の自分」の存在を否定することになる。
あのとき、登板を自重していたら、今みたいなみじめな境遇にならなくて済んだはずだ、と言ってっしまっては、救いようがなくなる、だからこのように答えたと言えるだろう。

つまり斎藤佑樹はまだ、投手としての可能性をあきらめていない。見返してやるとどこかでおもっているのだ。

同時に斎藤佑樹は良い指導者にはならないだろうと思う。投手の健康面、医療面の知識はほとんどなさそうだし、上や周囲に媚びる性格がにじみ出ているからだ。

たとえば彼が100勝近く上げているのなら、その発言はそれなりの重み、説得力があるが、甲子園でピークを迎え、その後、伸びなかった斎藤佑樹がそう言っても負け惜しみ、あるいは辛うじての「自己肯定」としか聞こえない。
悲惨なコメントではあった。


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