アメフト、レスリング、ボクシング、居合道、重量挙げ、あとなんだっけ、スポーツ界の不祥事が噴出している。鈴木大地スポーツ庁長官は「このままいくと、トップアスリートの強化に公金を使うことを国民に理解してもらうことが難しくなる。不祥事発生時の再発防止策や対処のあり方などを総点検していく」と危機感を募らせている。
スポーツ庁というのは「危機感を募らせる」ためだけに存在しているような気さえするが、鈴木大地長官は、今後さらに「危機感を募らせまくる」だろう。
ここまで各スポーツ界で起こっていることは、
公私混同・地位利用
暴力・パワハラ
勝利至上主義
などでくくることができる。不祥事が発生するたびに、そのスポーツ界の体質が非難されるが、不祥事がスポーツ界にどんどんひろがるとともに「スポーツ界はどうなってるんだ」という声に変りつつある。
世間は驚いて見せているが、実際のところ、スポーツ系の部活を経験した人たちは、さほど驚いていないだろう。
日本のスポーツ界は、どんなジャンルであっても「そういうもの」だったからだ。
指導者は偉くなると、自分の教え子に優先的にチャンスを与えようとする。
指導者はその地位を利用して、金銭的な利益やステイタスを得ようとする。
結果が出ない選手は、殴ったり蹴ったり「試合に出さないぞ」「やめろ」と恫喝する。
勝つためにはどんな汚い手でも使う。周囲もそれを「執念」とか「懸命」とかほめそやす
要するに日本人の「スポーツ観」はその程度なのだ。
世界のスポーツが極めて健全で、ピュアで、選手本位に変貌しつつある中、日本のスポーツ界は、まるごと時代に取り残されつつあるのだ。
別にそれだけなら大したことではない。バブル崩壊後、日本はいろんな部分で取り残されている。そのことには慣れっこになっている部分もある。
しかし日本は、2020年に東京オリンピックを開催する。その前に、日本のスポーツ界がここまで時代遅れで、とんでもない状態だということが喧伝されるのは困る。みっともないし、外国人から嗤われる。
スポーツ庁の「危機感」は、そういう種類のものだろう。
恐らく、スポーツ庁も日本のスポーツ界も、根本的な改革をする気はないだろう。それは、自分の腹にメスを当てて自分で手術をするようなものだ。できるはずがばい。
これ以上不祥事が噴出しないように糊塗策を弄するのだと思う。
しかしここまで殴られ、蹴られ、罵倒されて競技を続けてきた選手たちは、今自分が置かれている教具、受けている「指導」が、世界標準で考えれば「とんでもないもの」だということに気付き始めている。そして恩師や学校、競技そのものを告発し始めている。
スポーツ界が浄化されるとすれば、トップダウンではなく、選手たちのボトムアップによるだろう。これに開明的な指導者が協力して、改革が進めばいいと思う。
1965年鵜狩道旺、全登板成績【6年ぶり2度目の2ケタ勝利】
私のサイトにお越しいただき、ありがとうございます。ぜひコメントもお寄せください!
↓
好評発売中!
ここまで各スポーツ界で起こっていることは、
公私混同・地位利用
暴力・パワハラ
勝利至上主義
などでくくることができる。不祥事が発生するたびに、そのスポーツ界の体質が非難されるが、不祥事がスポーツ界にどんどんひろがるとともに「スポーツ界はどうなってるんだ」という声に変りつつある。
世間は驚いて見せているが、実際のところ、スポーツ系の部活を経験した人たちは、さほど驚いていないだろう。
日本のスポーツ界は、どんなジャンルであっても「そういうもの」だったからだ。
指導者は偉くなると、自分の教え子に優先的にチャンスを与えようとする。
指導者はその地位を利用して、金銭的な利益やステイタスを得ようとする。
結果が出ない選手は、殴ったり蹴ったり「試合に出さないぞ」「やめろ」と恫喝する。
勝つためにはどんな汚い手でも使う。周囲もそれを「執念」とか「懸命」とかほめそやす
要するに日本人の「スポーツ観」はその程度なのだ。
世界のスポーツが極めて健全で、ピュアで、選手本位に変貌しつつある中、日本のスポーツ界は、まるごと時代に取り残されつつあるのだ。
別にそれだけなら大したことではない。バブル崩壊後、日本はいろんな部分で取り残されている。そのことには慣れっこになっている部分もある。
しかし日本は、2020年に東京オリンピックを開催する。その前に、日本のスポーツ界がここまで時代遅れで、とんでもない状態だということが喧伝されるのは困る。みっともないし、外国人から嗤われる。
スポーツ庁の「危機感」は、そういう種類のものだろう。
恐らく、スポーツ庁も日本のスポーツ界も、根本的な改革をする気はないだろう。それは、自分の腹にメスを当てて自分で手術をするようなものだ。できるはずがばい。
これ以上不祥事が噴出しないように糊塗策を弄するのだと思う。
しかしここまで殴られ、蹴られ、罵倒されて競技を続けてきた選手たちは、今自分が置かれている教具、受けている「指導」が、世界標準で考えれば「とんでもないもの」だということに気付き始めている。そして恩師や学校、競技そのものを告発し始めている。
スポーツ界が浄化されるとすれば、トップダウンではなく、選手たちのボトムアップによるだろう。これに開明的な指導者が協力して、改革が進めばいいと思う。
1965年鵜狩道旺、全登板成績【6年ぶり2度目の2ケタ勝利】
私のサイトにお越しいただき、ありがとうございます。ぜひコメントもお寄せください!
↓
好評発売中!