先代の貴ノ花、大関貴ノ花利彰は、2005年に55歳の若さで死んだ。NHKはこの年、初代貴ノ花の追悼番組を「NHKスペシャル」の枠で放送した。この時の映像を私は録画した。
異色なことに貴ノ花の追悼番組は、ほとんどノーナレーションだった。横綱若乃花の実弟として角界に入門してから新入幕、大関昇進、初優勝、そして親方として若貴など多くの弟子を育て上げるまでが、淡々と描かれていた。それだけに、稀有の人物を失ったことの悲しみが惻々と伝わってきた。

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大変人気のあった横綱初代若乃花の年の離れた弟として、貴ノ花は少年のころから注目の的だった。中学時代は水泳選手として将来を嘱望され、東京五輪の聖火ランナーにもなったが、兄のもとに入門。寡黙で厳しい兄の指導に耐えて番付を登って行った。
私は昭和40年代、大相撲春場所をよく見に行ったが、とにかく貴ノ花が土俵に上がるとすさまじい歓声が起こった。ライバルの輪島大士と阿佐ヶ谷勢の「貴輪時代」ともてはやされたが、土俵での声援の大きさは段違いだった。私の印象では二番目に歓声が大きかったのは高見山大五郎だったように記憶している。

しかし貴ノ花は、少しもうれしそうな顔はしなかった。いつも困ったような顔をしてぼそぼそと話すだけだった。支度部屋から花道へ差し掛かる通路で貴ノ花を見たことがあるが、何かファンを近づけないような厳しさを感じた。

貴ノ花人気が頂点に達したのは1975年の春場所、横綱北の湖を下して13勝2敗で初優勝を飾ったのだ。このときの全国的な盛り上がりは、本当にすごかった。讀賣新聞社の「月刊大相撲」が売り切れたのを覚えている。

しかし貴ノ花は横綱になることなく引退する。最後の土俵を中継した杉山邦博アナが絶句したのもよく覚えている。「悲劇の大関」という名前がついた。

若貴兄弟の大人気は、まさに父貴ノ花の人気を引き継ぐものだった。あの細身で、切なげな貴乃花の血を引く兄弟が土俵で頑張っている。その思い入れが、二人への歓声になっていった。若貴兄弟の活躍した時期は、平成の初期。二人は史上初めての兄弟横綱になった。

父貴ノ花はまさに師匠として相撲界の頂点に立ったが、彼は少しもうれしそうな顔をしなかった。寡黙で、いつも思い悩んでいるようだった。

そのうちに貴ノ花は病気になる。2001年には夫人と離婚、若貴兄弟の不仲も話題になる中、わずか55歳で没した。それも大きなニュースになった。

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私の貴ノ花の印象を一言でいうなら「孤独」ということになる。どんなに人気があっても、栄達してもいつも「一人」という印象だった。夫人や子供も含め、誰とも打ち解けていないように思えた。

この度の二代目貴乃花の引退劇を見ると、父親と同じ濃い孤独の影が射しているように思える。特別の家に生まれ、幼いころから特別視され、プレッシャーの中で出世をした彼は、誰も信用できず、誰とも分かり合えなかったのではないか。おそらく、唯一話ができたであろう、父貴ノ花は13年間前に世を去っている。
そういう血、定めがこの大横綱には付きまとっているのではないかと思う。


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