寺脇研という人の名前は、私は大学時代から知っていた。当時、私は落語のテープを収集していたが、東京大学にすごいコレクターがいると聞いていたのだ。

直接会ったことはないが、早稲田に石井徹也という同好の士がいて、石井さんを介してテープのやり取りをした。私のコレクションに寺脇さんのテープも何本かあるはずだ。
寺脇さんは映画評論家としても有名で、年間に封切りになったすべての映画の評論をして本にしたりしている。要するに「ヲタク」である。

その後、文科省に入って「ミスターゆとり教育」となり、退官し、最近はテレビでよく見かける。「ゆとり教育」は三浦朱門などの人と推進していたはずだから「右」なのかな、と思ったが退官後は安倍政権には批判的だ。

その寺脇さんが本を著し、その中で小学校六年生の道徳の教科書に載った「星野君の二塁打」を批判している。以下プレジデントオンラインを読まれたし。
監督の"打つな"を無視した野球少年の末路上からの命令は「絶対」なのか

監督の「打つな」という指示に逆らって殊勲の二塁打を打った星野という少年の行動について、みんなで考えさせるというものだ。

ある教科書を見ると、この「星野君の二塁打」というタイトルの横には「チームの一員として」というキャッチが添えられており、さらに上部には「よりよい学校生活、集団生活の充実」という表記がある。


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私はこれを読んで、「本当に今の時代の教科書に載っているのか」と思った。信じられなかった。
この内容を見る限り、確かに日本の国は「右傾化」しているのだと思うし、いい方向には進んでいないと思った。

道徳の教科書としての評価で言えば、いろいろな属性をもった人が一緒に暮らし、多様化が進もうとしている今の日本にあって
「いや、いくら結果がよかったからといって、約束を破ったことに変わりはないんだ。いいか、みんな、野球はただ勝てばいいんじゃないんだよ。健康な体を作ると同時に、団体競技として、協同の精神を養うためのものなんだ。ぎせいの精神の分からない人間は、社会へ出たって、社会をよくすることなんか、とてもできないんだよ。」
という言葉はすでにアナクロニズムと言っていいだろう。

こういう形で子供の時代から犠牲の精神を押し付け、同調圧をかけるような社会は、ろくな社会ではないだろう。今の為政者たちは、こういう教育を推奨しているのだ。誠に気持ちが悪い。

また「少年野球の指導」という面でも、この文章はおかしい。
日本の少年野球の現場では、バントは多用されているが、これは日本だけだ。
この指導者は「野球はただ勝てばいいんじゃないんだよ」と言っているが、小学生のレベルで、勝つためにバントを常用することこそが「勝利至上主義」だ。このレベルでは「投げる、打つ、走る」という基本的な能力を高めることが主眼であって、試合に勝つことは二の次だ。

さらに、指示を無視して二塁打を打った星野君に対し、指導者はみんなの前で説教をした。
「ぎせいの精神の分からない人間は、社会へ出たって、社会をよくすることなんか、とてもできないんだよ」は、小学生にはかなりきつい叱責になるだろう。
星野君は以後、野球が嫌いになったかもしれないし、指導者の前で委縮するようになったかもしれない。

たとえバントが必要だったとしても、星野君の気持ちを考えれば、個別に彼を呼び出して、きちんと説明すべきだ。

この話は、今、問題になっている日本の少年野球の現状を肯定している。こういう内容の教科書が小学校で使われることに暗澹たる思いを抱く。


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