亥歳最高の当たり年は、1935年、質、量ともに壮観だ。

140人もいる。今では考えられない大量入団だ。

1935


6人もの殿堂入りを輩出。壮観だ。

学年は1つ上になる早生まれでは、豊田泰光がいる。水戸商から西鉄。強打の遊撃手。のち国鉄。解説者としても素晴らしかった。

駿足の河野旭輝、投手、そして投手コーチとしても活躍した植村義信、豊田と同じくライオンズ、国鉄で活躍した小淵泰輔、巨人で新人王になった堀本律雄、阪急の中心打者だった中田昌宏らもこの世代の早生まれ。

4月2日以降では、何といっても野村克也。説明する必要はないだろう。

阪急の長身左腕梶本隆雄は、200勝投手で唯一の負け越し。

仰木彬も西鉄全盛期の名二塁手。監督としてパ・リーグの隆盛に尽力した。

皆川は南海のサブマリン。誕生日が4日違いの野村とバッテリーを組む。最後の30投手だ。そして杉浦忠も同い年だった。ちなみに皆川と誕生日が同じ中川隆は、野村克也に第1号本塁打を供給した投手だ。

西鉄、南海が覇を競った昭和中期のパ・リーグの名選手がずらっと並んでいる。
田中久寿男は、西鉄から巨人に移籍した外野手。滝内弥瑞生は西鉄の守備の名手。昨年物故。
宅和本司は南海でデビューから2年連続最多勝、中村大成も南海で55年に23勝した。

そのほかにも中日のエース級だった大屋根、同じく中日で、大争奪戦が起こった児玉泰(旧姓空谷)、巨人の先発堀内庄、早稲田のスラッガーだった森徹。

忘れてはならないのがずば抜けた制球力の持ち主だった土橋正幸だろう。彼が殿堂入りしないまま世を去ったのは痛恨だ。

ルー・ジャクソンはサンケイの外国人選手。活躍したが現役中に急死した。

ちなみに4月以降は長嶋の同級生だが、長嶋は36年2月生まれだ。


広島総合・広島市民・マツダS・シーズン最多本塁打打者/1950~1986、2007~2018

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