このところ「野球界が本当に変わりそうな」兆しがいろいろある。
少年野球での堺ビッグボーイズをはじめとする新しい動き、高校野球200年構想、さらには年末には新潟県高野連が「球数制限」を打ち出した。
これらの動きは偶然、おこったものではない。変革を志す人たちが各方面に働きかけ、いろいろと努力をして少しずつ変化が見えるようになってきたのだ。

だからこの動きは後戻りすることはないだろう。「勝利至上主義」の否定、プレイヤーズ・ファーストの重視などの流れは、今後もさらに加速すると思われる。

この状況で最も懸念されるのは「メディアの動き」だ。
新聞やテレビなどのメディアは、今も非常に大きな力を持っている。世論を動かしているのはメディアだ。
しかしながらメディアはその影響力ゆえに大きな問題点も持っている。

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それは「方針転換」がなかなかできないという点だ。
スポーツについていえば、メディアは長期にわたって「根性論」を賛美してきた。チームのため、郷土のため、国のために我が身を犠牲にして頑張る選手たちを、口を極めてほめたたえてきた。選手の中には、そのプレッシャーに押しつぶれて競技を断念したり、中には命を絶ったりした人もいたが、それにも懲りず、メディアはスポーツとは「全身全霊をささげるもの」という観念で報道を続けてきた。

今や、そうした考え方は否定されつつある。スポーツは一握りのアスリートが身を粉にして頑張るものではなく「基本的人権」の一つとして、すべての人が享受すべきものだ。
そしてトップアスリートであっても「競技」は、「我が身を犠牲にして誰かのためにするもの」ではなく、「自分のためにするもの」へと変わりつつある。

メディアも正気の時はそれを理解している。そういう良記事もよく目にする。しかし、競技が始まってしまうとメディアは「逆上」して、「根性」「自己犠牲」を声高に叫ぶのだ。
いまだに、ねん挫した選手が足を引きずりながらたすきをつないだのを「死んでもラッパをはなしませんでした」風に伝えてしまうのだ。

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その背景に苛烈な「視聴率競争」があるのは周知の事実である。コンテンツはその良しあしではなく「どれだけ多くの人を引き付けたか」で評価される。そのために、テレビはより扇情的で大げさな論調で中継するのだ。

しかし同時に「そういう表現の仕方しか知らない」という「メディアの不勉強」も一方に存在する。特に放送局のダウンサイジングによって、スポーツアナが減って、アナウンサーの専門性があまりなくなってからは、「なんでもいいから煽り立てる」ような中継が目立つようになった。

こういうメディアしかない日本で、「目の前の試合が大事」ではなく「選手の将来が大事」だということを声高に主張するのはなかなか難しい。

「〇〇選手、まだやろうと思えばやれますが、負傷のために棄権しました。これもまた勇気ある決断です」という実況は成り立つような気もするが、「足を引きずりながらたすきをつなぎました」に比べれば、視聴率は取れないかもしれない。

スポーツ中継といえば「逆上してがなりたてる」が定番になっている日本のスポーツメディアを改革するのはなかなか難しいだろう。

しかし、野球をはじめ日本のスポーツの改革が進む中で、メディアに「正気を取り戻してもらう」のは非常に重要なことなのだ。



広島総合・広島市民・マツダS・シーズン最多本塁打打者/1950~1986、2007~2018

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