先ほどの更新で「嵐」のニュースがNHKや民放の「ニュース番組」で流れることに大きな違和感があると書いた。なぜそうなのか、ということについて考えたい。
今のメディアでは「芸能・スポーツ」と両者は一からげにされることが多い。
スポーツ紙は「芸能・スポーツ」をもっぱら扱うメディアだ。
二つは「人気商売」であり、よく似た位置づけにある。しかし、サッカーのアジアカップで日本がイランに勝ったというニュースは、ニュースや情報番組で大きく取り上げられても違和感はないが(ミーハー的なのは好きではないが)、嵐の活動休止が、例えばNHKの「ニュース7」のトップで取り上げられると、大いに違和感がある。なぜなのか?

スポーツは「試合」の報道がメインになる。スポーツの試合は真剣勝負であり、その結果は当事者である選手、監督、コーチの手にゆだねられる。外部からのコントロールはできない。
試合結果は、予想はできるが事前にはわからないものであり、予断を許さないものだ。
だから、スポーツの結果は「ニュース」として、読者に知らせる必要がある。スポーツは今の人々の大きな関心事でもあるし、その結果に一喜一憂する人々も多い。
だから、スポーツは「ニュース」としてメディアでしっかり取り上げる必然性がある。
端的に言えば「筋書きのないドラマ」だから、伝える価値がある。

しかし「芸能」は、「筋書きのあるドラマ」だ。いろいろなショーや演劇、コンサートなどで「不確定要素」は観客動員や視聴率だけだ。あとは、出演者や演出家、プロデューサーがあらかじめ計画し、台本に書いたとおりに進行する。さらに言えば、テレビメディアも、それに加担し、視聴率を上げるためにいろいろな演出をする。
いわば、メディアは、「芸能」に加担し、それがうまくいって、主催者やメディアに収益が入ることを求めて報道している。
ようするに芸能報道のかなりの部分は「宣伝」なのだ。だから、芸能を純然たるニュースとして報道することには大きな違和感がある。

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前の投稿でも言及したが「芸能ニュース」は、「ニュースを読もうと新聞を買ったら、中身はチラシばかりだった」という感じなのだ。

「嵐」の活動休止はニュースだというかも知れないが、このニュースは来年12月まで続く「お別れ興行」のキックオフ的なプロモーションだ。今後、テレビや新聞は「嵐」を取り上げるたびに大きな視聴率や部数を得ることができるかもしれないが、彼らの商売に何の関係のない一般読者、コンシューマーがお付き合いする筋合いはないと思うのだ。

同様の事例でもっとも醜いのは「AKBの総選挙」だろう。

プロレスが一般紙の紙面から消え、スポーツ紙でも扱いが小さくなったのは、「筋書きのあるドラマ」になったからだ。それはニュースとして読者にいち早く伝える必要があるものとはみなされなくなった。

同様に「嵐」の記事も、地震情報や国際情勢などと同じレベルで伝えるべきものではない。
「ニュース」と「商業コンテンツ」の境界が危うくなっているが、これはメディアの責任だ。メディアは自分たちが金儲けをするために、プロレスみたいな「芸能ニュース」をあたかも「本物のニュース」のように伝え始めている。
「羊頭狗肉」とはこのことであろう。


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