おそらくこの人は今、面白くないはずだ。教え子の筒香嘉智が「野球改革」について発言しているが、渡邊前監督の名前は一度も出てこないからだ。

筒香は、小、中学校で勝利至上主義に染まらず、じっくりと育てられ「貯金」があったから、横浜高校での厳しい練習に耐えることができたと語った。しかし、横浜高校では関西弁を嗤われたり、大変だったと述懐している。

昨年12月に開かれた、渡邊監督の「育成功労賞受賞を祝う集い」で筒香は「野球はもちろん、野球以外での人間力の大切さをおっしゃっていただきました。渡辺監督のご指導があってこそ、何とかここまでやれています」と語ってはいるが、具体的な指導の内容などには触れなかった。

筒香は、「甲子園至上主義」も明確に批判している。中学時代までの野球こそが、これからの野球の本筋になっていくと考えている。甲子園の名将、渡辺前監督にしてみれば「ここまで育ててやった俺は無視か」というところだろう。

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デイリースポーツの渡辺前監督のコラムでは、この指導者が筒香とは全く違う考えを持っていることを露呈している。

何度も「球数制限には賛成」といいつつも

私は選手側に立って「球数制限」を考えた時に、大事なことでいいなと思います。ただ全国、日本高野連を中心にしていろいろな意見を出す中で決定するのがいいですよね。ちょっと時期尚早だと思います。しっかりとした根拠がないと。

しっかりした根拠は、ここまでスポーツドクターから何度も提示されている。球数制限を導入していないから、野球肘などの健康被害が続出している。これまでの指導者はその事実を知っても「それは野球をしていれば仕方ないことで、大したことではない」と言ってきたのだ。「是か非か」以外に議論のしようもない。

例えば公立高校の1回戦。優勝候補のチームと戦って、ひょっとしたら勝てそうな雰囲気だなんて時があるわけです。そんな時に、球数制限でエースが代わった、まだ勝てる可能性があるのにもかかわらず100球で終えて交代するしかない、となったら。全然ピッチャーがいないのにどうなるんだよ、となるわけです。

まさにこれが「勝利至上主義」そのものだ。「まだ勝てる可能性がある」ことと「投手がこののち投げられなくなる」ことのどちらを重要視するかということだ。
「選手はみんな鍛えているから、そんなに簡単に壊れない」というのは、まさにファクトによらない経験主義の悪弊だ。

1998年夏の甲子園。PL学園との準々決勝で松坂は球数制限があれば、そんなに投げていなかったと思いますよ。

過去の「登板過多」をともなう「栄光の歴史」を「歴史の中」に閉じ込めて「今後は違う野球をする」と宣言すべきなのだ。

世界中の青少年の野球が「球数制限」をしている中で「時期尚早」というのは、何を意味するのだろうか。これは、今の日本高野連の「総意」に近いと思うが、何も学ばず、過去に拘泥する人と何を議論するのか。
ひょっとすると「俺たちが死んでからにしてくれ」ということなのだろうか。

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