この人は、有能なのか、そうでないのか。「そうでない」という噂も少し聞いた。ユニセフの会合で近くにいたが、受け答えを聞いていると、なんとなく「原辰徳」のようなイメージだったのだが。

共同通信
スポーツ庁の鈴木大地長官が4日、共同通信のインタビューに応じ、投手の投げ過ぎが指摘されている高校野球で、投球回数、球数に一定の制限を設けることが望ましいとの考えを示した。
(中略)
日本高野連では全国一斉の実施、手続き上の問題から否定的な意見が出ている。鈴木長官は「一斉が望ましいが、いきなりは難しいだろう。新潟の勇気を応援したい」と支持する姿勢を示した。


何も目新しいことは言っていないが、2020年に向けて国際標準の「まともな日本スポーツ」を作らなければならない立場からして、「腕も折れよ」「甲子園で死ねば本望」みたいな、高校野球のアナクロニズムは、看過できないところだろう。

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高校野球の評価は、日本を二分している印象がある。単に高校野球をテレビで見るだけのファンにとって「青春の汗と涙を流す高校野球」は今も昔も「爽やかな風」みたいなものだ。過酷な練習も健康被害も、暴力もパワハラも「栄光」のコストであり、甲子園にはそれだけの価値がある、と、エアコンの利いた室内でテレビを見ながら思っている。甲子園の客席でも汗を拭きながら「これが青春」などと思っている。

これに対して、高校野球の現場は「甲子園に対するコスト」のあまりの大きさに、青息吐息という状況だ。教育であるにもかかわらず、成人後も残るような健康被害や、機会均等を奪うエリート主義や、時代遅れな暴力、パワハラが残る現状は、一刻も早く改善したい。その「1丁目1番地」が「球数制限」なのだ。

守旧派の指導者たちは、テレビの前のファンに耳触りの良い言葉を吐いて味方につけようとしている。しかし、現実が多くの人々に知られつつある。甲子園という「残酷ショー」の実態が浸透しつつある。

この間の高知商の問題で、世間の非難を浴びた日本高野連だ。川淵三郎に続いて鈴木大地という「日本スポーツの権威」から掣肘を受けて、ビビりまくっているだろう。
お得意の「時期尚早」「先送り」ができるかどうか。それをすれば日本高野連は「守旧派」という大きなレッテルを貼られることになる。

外圧がなければ変われない組織なのだ。鈴木大地長官には、今後も直言を期待したいところだ。


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