スポーツ庁の鈴木大地長官は、野球部と他の部活の「兼部」を提案した。少子化の中、どのスポーツも競技人口が伸び悩んでいる。「兼部」はこの打開策として極めて有効だ。

しかし高野連も高体連も原則として「兼部」を認めていない。これは、生徒のためを思ってではなく、各スポーツの競技団体、指導者の都合によるものだ。
日本の本格的なスポーツ部活は、原則として「365日休みなし」になっている。テスト前と盆と正月を除いて、選手を練習で縛り付け、スポーヅ漬けにする。そして、少数の指導者と「師弟関係」を結ばせ、絶対服従を強いる。

そういう日本の部活の在り方では「兼部」は、難しい。指導者は「他の部活で怪我でもされたら困る」と思うし、「他のトレーニング方法を仕込まれても困る」と思う。ありていに言えば「師匠への忠誠心が揺らぐのはもっと困る」と思っている。だから「兼部」に否定的だ。

要するに日本の部活とは「指導者が生徒に技術や知識を仕込む」ものであり、「生徒が自由に選択する」ものではないのだ。だから生徒の選択肢、判断基準を増やすことにつながる「兼部」は都合が悪いのだ。

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高体連も高野連も、原則として「兼部」を禁じているが、皮肉なことに、野球の試合では他の競技から選手を借り出すことはしばしば行われている。高体連同士なら「兼部」は、名簿上で把握されるため難しいが、高体連と高野連は別の組織であり、名簿のやりとりはないから、ばれないのだ。学校では実態は把握しているが、問題が起きることはないので、そのままにしている。
高校野球の競技人口がなかなか減らなかったのは、「兼部」があったことが一因だとされている。

ただし昔は高校野球部の生徒が、駅伝など陸上競技に駆り出されることがよくあったが、今はあまり行われていないようだ。高体連側のほうが名簿管理が厳しいのではないか。

こういう不健全なやり方は是正されるべきだろう。高校生は自由に兼部ができるようにすべきだ。それによって、スポーツへの理解が深まる。また高校野球のような旧弊な指導とは別の、進歩的な指導に触れることで意識改革が進むはずだ。
そして、「自分で考える」ことができるようになった選手が、馬鹿な指導者を駆逐することも考えられるだろう。

「兼部なんかしたら、練習がおろそかになって弱くなる」という指導者もいるかもしれないが、それは全く構わない。学校スポーツは「勝つため」ではなく生徒が「成長するため」にあるのだから。

「兼部」が実施されたら、弱い野球部は選手の確保がより容易になるだろう。連合チームのようなつじつま合わせはしなくてもよくなる。
またたくさんの「ベンチ要員」「声出し要員」を抱えていた強豪校は、生徒が他の部活をやるようになって、選手数が減り、弱くなるだろう。戦力均衡も大いに期待できる。
そして変な指導者は存在できなくなるだろう。

いいことづくめだと思うのだが、いかがか?

※「兼部禁止」は明文化されていない。文科系とスポーツ系をかけもちすることは、学校によっては認められている。しかしスポーツ系のかけもちは、インターハイなど公式戦への出場がいずれか一つの選手登録となるため、事実上不可能になっている。
ただし夏季と冬季の公式戦に別のスポーツで出場した例は少数ながらある。
スポーツ系の「兼部」を奨励している学校はほとんどないのが実情だ。

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