私は物心ついてから、父親に「道楽者」と言われ続けてきた。プロ野球が好きになれば、記録を漁りだす。大相撲もしかり。古い雑誌をたくさん集めた。中学生の分際で相撲部屋に入り浸った。
大学に入るや、落語に狂い始めて、ついには就職もせずに落語界に身を投じた(あるいは身を沈めた)のだから、そういわれても仕方がない。家の壁は落語のテープで埋め尽くされた。その当時はそんな言葉はなかったが、いわゆる「ヲタク」だったのだ。
うちの父親はほとんど孤児のような境遇から大学を出て会社に拾われ、役員、最後は社長にまでなった。生活は会社とともにあり、仲間は会社の同僚だけ、趣味は会社の人とする麻雀とゴルフ。家族はほとんど顧みなかったが、道楽もほとんどしなかった。会社への忠誠が人生のすべてだった。父は社長をやめでから46日しか生きていなかったのだ。
そういう父親から見れば、私は理解不能だっただろう。一つの物事に深く入り込み、出世にも金にもならないのに、寝食を忘れて夢中になる。苛立ったのは「人と同じことをしない」こと、そして「人からどう見られているかを気にしない」ことだっただろう。
徳島の田舎から出てきた父は、常に評判を気にした。人に謗られないように気を配り、信用を重んじ、まじめ一筋だった。
そういう目から見れば、私は「不肖の息子」そのものだった。私の母方の祖父は、戦前は郵政官僚だったが、戦後は音楽にうつつを抜かし、祖母に家計をゆだねて趣味に没頭した。まさに私は祖父に引き写しだったのだが、父にはそのこともあって、なおさら私を忌々しく思ったことだろう。
私は25歳にして広告会社に就職し、以後はサラリーマンになる。道楽を卒業したのだ。それは落語界で「本当の道楽(道落)」をたくさん見たことも大きい。今はそうでもないが、当時の芸人の中には「破滅するまでの時間つぶし」のように毎日を自堕落に生きている人もいた。ああいう「ほんまもの」を見て「自分はああはなれない」と思った。私の体にはサラリーマンの血が混じっていたのだろう。
以後、私は20年以上サラリーマン生活をし、結婚をして家庭も持った。趣味はすべて手放したわけではないが、仕事に支障のない限りで継続させた。妻からすればそれでもやりすぎだったろうが。
この間に管理職になったり、広告部門の責任者になったり、取締役にもなった。
そうこうするうちにいろいろな経緯で、フリーランスのライターになることとなった。
それで飯が食えるようになったのだ。野球ではなく、自治体の町おこしや企業の広報、PRの世界がメインだったが、サラリーマン時代に身に着けたビジネスの知識や処世術で、フリーになっても飯が食えるようになった。さらにこのブログがきっかけで、野球関係の仕事をするようになり、今では野球関係の仕事が6割くらいになった。今は昔の「道楽」の蓄積を少しずつマネタイズしているような感じである。
時代は変わり、一つのことに寝食を忘れて夢中になることは、ある種の生き方として認められるようになった。これを「ヲタク」という。
今や、ヲタクはあらゆるジャンルに存在し、そのジャンルを経済的に支えている。ヘビーユーザーと重なっているが、ヲタクはその中でも「きついやつ」だろう。
中には昔から「病膏肓に入る」状態だった人もいるだろうが、ヲタクが市民権を得たことで、ブームに乗ってヲタになった人もいると思う。
私が違和感を覚えるのは、今のヲタクの多くが、「罪悪感」をほとんど持っていないことだ。それどころか、ヲタクであることをひけらかし、あたかもいいことであるかのように「自慢」する人がたくさんいることだ。
ヲタクは、通常の趣味の領域を逸脱している。常識を外れている。そこまで突っ込むこと自体は自己責任ではあるが、年収のほとんどを趣味につぎ込むことや、仕事や家庭をほったらかしにして対象を追いかけまわすことは、まともではない。みっともないことだ。誰かに迷惑をかけていることも多いし、少なくとも褒められたことではない。よそ様に言えたものではない。
私に言わせれば、ゲットしたレアアイテムの写真や、対象と一緒に写した写真をSNSに上げて大っぴらにひけらかすのは、正統派のヲタクのすることではない。
ヲタクはあくまで「自己満足」で完結するものだ。仲間内でこそこそ見せ合うのならばともかく、世間様にひけらかすのは醜悪だ。馬鹿が馬鹿自慢をしているようなものだ。
そのことがわからない「似非ヲタク」あるいは「勘違いヲタク」が、いろんなところで事件を引き起こしている。「大人げないこと」「みっともないことをしている」とは思わず「かっこいいことをしている」と思うから、厚かましいことを平気でやる。
松坂大輔の右腕を引っ張ったのも、それを武勇伝とでも思う「似非ヲタク」の仕業ではないかと思う。
「道楽者」「ヲタク」は、花が咲かない隠花植物のようなものだ。それが狂い咲きのように世間に咲き乱れている光景は、一言で言えば「見苦しい」。
2018年原樹理、全登板成績
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うちの父親はほとんど孤児のような境遇から大学を出て会社に拾われ、役員、最後は社長にまでなった。生活は会社とともにあり、仲間は会社の同僚だけ、趣味は会社の人とする麻雀とゴルフ。家族はほとんど顧みなかったが、道楽もほとんどしなかった。会社への忠誠が人生のすべてだった。父は社長をやめでから46日しか生きていなかったのだ。
そういう父親から見れば、私は理解不能だっただろう。一つの物事に深く入り込み、出世にも金にもならないのに、寝食を忘れて夢中になる。苛立ったのは「人と同じことをしない」こと、そして「人からどう見られているかを気にしない」ことだっただろう。
徳島の田舎から出てきた父は、常に評判を気にした。人に謗られないように気を配り、信用を重んじ、まじめ一筋だった。
そういう目から見れば、私は「不肖の息子」そのものだった。私の母方の祖父は、戦前は郵政官僚だったが、戦後は音楽にうつつを抜かし、祖母に家計をゆだねて趣味に没頭した。まさに私は祖父に引き写しだったのだが、父にはそのこともあって、なおさら私を忌々しく思ったことだろう。
私は25歳にして広告会社に就職し、以後はサラリーマンになる。道楽を卒業したのだ。それは落語界で「本当の道楽(道落)」をたくさん見たことも大きい。今はそうでもないが、当時の芸人の中には「破滅するまでの時間つぶし」のように毎日を自堕落に生きている人もいた。ああいう「ほんまもの」を見て「自分はああはなれない」と思った。私の体にはサラリーマンの血が混じっていたのだろう。
以後、私は20年以上サラリーマン生活をし、結婚をして家庭も持った。趣味はすべて手放したわけではないが、仕事に支障のない限りで継続させた。妻からすればそれでもやりすぎだったろうが。
この間に管理職になったり、広告部門の責任者になったり、取締役にもなった。
そうこうするうちにいろいろな経緯で、フリーランスのライターになることとなった。
それで飯が食えるようになったのだ。野球ではなく、自治体の町おこしや企業の広報、PRの世界がメインだったが、サラリーマン時代に身に着けたビジネスの知識や処世術で、フリーになっても飯が食えるようになった。さらにこのブログがきっかけで、野球関係の仕事をするようになり、今では野球関係の仕事が6割くらいになった。今は昔の「道楽」の蓄積を少しずつマネタイズしているような感じである。
時代は変わり、一つのことに寝食を忘れて夢中になることは、ある種の生き方として認められるようになった。これを「ヲタク」という。
今や、ヲタクはあらゆるジャンルに存在し、そのジャンルを経済的に支えている。ヘビーユーザーと重なっているが、ヲタクはその中でも「きついやつ」だろう。
中には昔から「病膏肓に入る」状態だった人もいるだろうが、ヲタクが市民権を得たことで、ブームに乗ってヲタになった人もいると思う。
私が違和感を覚えるのは、今のヲタクの多くが、「罪悪感」をほとんど持っていないことだ。それどころか、ヲタクであることをひけらかし、あたかもいいことであるかのように「自慢」する人がたくさんいることだ。
ヲタクは、通常の趣味の領域を逸脱している。常識を外れている。そこまで突っ込むこと自体は自己責任ではあるが、年収のほとんどを趣味につぎ込むことや、仕事や家庭をほったらかしにして対象を追いかけまわすことは、まともではない。みっともないことだ。誰かに迷惑をかけていることも多いし、少なくとも褒められたことではない。よそ様に言えたものではない。
私に言わせれば、ゲットしたレアアイテムの写真や、対象と一緒に写した写真をSNSに上げて大っぴらにひけらかすのは、正統派のヲタクのすることではない。
ヲタクはあくまで「自己満足」で完結するものだ。仲間内でこそこそ見せ合うのならばともかく、世間様にひけらかすのは醜悪だ。馬鹿が馬鹿自慢をしているようなものだ。
そのことがわからない「似非ヲタク」あるいは「勘違いヲタク」が、いろんなところで事件を引き起こしている。「大人げないこと」「みっともないことをしている」とは思わず「かっこいいことをしている」と思うから、厚かましいことを平気でやる。
松坂大輔の右腕を引っ張ったのも、それを武勇伝とでも思う「似非ヲタク」の仕業ではないかと思う。
「道楽者」「ヲタク」は、花が咲かない隠花植物のようなものだ。それが狂い咲きのように世間に咲き乱れている光景は、一言で言えば「見苦しい」。
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考えたことがなかったのでおもしろい視点だ.
「道楽者」「ヲタク」は、花が咲かない隠花植物のようなものだ
との指摘もおもしろい.
一点だけ
郵政省は戦後に作られた.
戦前だったら逓信省だ.
小生の父は逓信省の分離で
電気通信省に配属になったと思ったら
すぐに電電公社と郵政省に
なったので辟易したと言っていた.
だから
このはなしはよく覚えている.
baseballstats
がしました