デイリー新潮に面白い記事が掲載されていた。
川淵三郎との「独裁者対決」で渡邉恒雄が「勝ち目はない」と思ったワケ

Jリーグの100年構想は1996年に発表された。

あなたの町に、緑の芝生におおわれた広場やスポーツ施設をつくること。
サッカーに限らず、あなたがやりたい競技を楽しめるスポーツクラブをつくること。
「観る」「する」「参加する」。スポーツを通して世代を超えた触れ合いの場を広げること。


しかしこの理念の原型はJリーグの発足時からあり、Jのクラブは地域密着が基本で、企業職は前面に出さないスタンスだった。
しかしJに参加した讀賣新聞は、讀賣ヴェルディを「サッカーの讀賣ジャイアンツ」にしようと考えていた。「讀賣」の名前が出ないことに憤慨した渡邉恒雄読売新聞社長は、当時の川淵チェアマンを「独裁者」と非難。全面的な対立になった。

川淵チェアマンは、Jリーグの発足時に日本のプロ野球を徹底的に研究し「ああはならないこと」を固く決意した。コミッショナーではなくチェアマン、グラウンドではなくピッチ、ファンではなくサポーター、用語さえも峻別して「プロ野球とは違う組織」を目指した。

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Jの立ち上げに際して、人気チームであった讀賣ヴェルディと親会社の讀賣新聞が抵抗することは事前に予見できたはずだ。ナベツネとの戦いも予想していたはずだ。

川淵チェアマンは一歩も引かずナベツネを退けた。その後、放映権の問題でも単独の放映権を主張する讀賣側とJは激しく対立した。

しかし讀賣側は負けて、98年にはクラブを手放し、2009年には読売グループからも無縁のチームとなった。完敗だといえるだろう。

私は3年前に川淵さんに取材したが「今はナベツネさんとは仲がいいんだよ」とは言っていた。Bリーグの発足を控え、多くの賛同者を得たいという意向が見えた。

実際に川淵、ナベツネは「独裁者」という点で共通点もある。

川淵三郎近著「黙ってられるか」では、川淵-ナベツネ対談が掲載されているが、ナベツネは「非スポーツ人間」だからスポーツのことでは川淵さんに勝ち目はなかったと本音を漏らしている。これが重要だ。

今も野球界が、野球の将来について考えることなく、愚かしい態勢のままでいるのは、ナベツネ的な(=独裁、独善、利己的、近視眼的、保守的)人物が盤踞しているからだ。こうした「非スポーツ人間」が、退かない限り未来はない。

JリーグとNPBのレベルの違いは先日の楽天、神戸、立花陽三社長「本当のこと」を言ってしまうでも書いたが、どうしようもない状況になりつつある。

川淵さんは高齢だが元気だ。「僕は野球が大好きなんだ」と常々言っておられる。最後の一仕事として、学生野球協会、高野連会長とコミッショナーをやってほしいと心底思う。

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