毎日新聞が、「投手の肩ひじを守るには 第91回選抜を前に」という連載コラムを始めた。

例によって「中立の立場」で、主催者としての「当事者意識」を木曜日の「燃えないゴミの日」に間違って出してしまったような、無責任なスタンスで書いているが、第1回はなんと
「球数制限、監督75%『反対』」

この選抜に出場する32校の監督にアンケートしたところ24人が反対、7人が賛成、1人がどちらとも言えないだったという。

今の甲子園に出てくるような監督が、自分たちの指導法を否定する「球数制限」を支持するはずがない。
その反対理由が実に情けない。「待球作戦がはびこる」というものだ。「待球作戦」は、スポーツマンシップに悖る卑怯な作戦として、「球数制限」が導入されている国際大会では厳しく戒められている。
それを知らずに、日本のチームは平気でそれをやって、世界から顰蹙を買っている。
「待球作戦」で投手をつぶして出塁し、バント、盗塁で加点する「日本野球」は勝っても全く尊敬されない。「お前たちは強いが、俺たちはお前たちのような野球はしない」とはっきり言われた指導者もいる。

しかし今の高校野球の指導者は、日本国内の自分たちの仲間内のことしか関心がないから、世界で軽蔑されていることも気にならない。

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「待球作戦」を両チームがやれば、どちらのチームも試合進行ができなくなる。愚かな作戦だということがわからないのだろうか。「球数制限」は、日本を除くすべての国の青少年の野球で導入されているが、「待球作戦」を行っている国はないのだ。

記事によれば日本代表ヘッドコーチの八戸学院光星、仲井宗基監督は「海外の投手はストライク先行で来るので積極的に振らないといけない、待球作戦は、日本野球のレベルの低下につながる」と言っているが、これ、訳が分からない。
海外では「球数制限」が行われている。だから投手は積極的にストライクをとりに来る。打者は「待球作戦」がスポーツマンシップに反していることを知っているから、ストライクを積極的に振ってくるのだ。日本だってベンチが「待球作戦」を指示しなければ、同じように戦えるのだ。
目先の勝利のために、野球のレベル低下につながる作戦を選択する日本の指導者は、スポーツマンでも教育者でもない。恥ずかしいと思わないのだろうか。

日本高野連は「球数制限」の導入を時期尚早とした理由の一つとして「今回のような勝敗に影響を及ぼす規則については全国で足並みをそろえて検討するべきではないか」があったといっているが、まさに「勝利至上主義」そのものだ。

このコラムは2回目以降「球数制限は野球少年の健康維持のためには大切だ」という論調に代わっているが、1回目をこういう内容にした時点で、毎日新聞は真剣に「球数制限」「野球改革」を論いる気がないことが明白になっている。

一事が万事である。この調子だから毎日新聞なんか、誰も読まないのだ。読んでも何の益することもないのだから。

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