フルカウントで、斎藤佑樹は「球数制限問題」は「選手の意見を尊重すべき」とし、「当事者がどういう気持ちでいるのか」と述べた。同じことを過去に東スポでも言っている。
取材者は誰なのかわからないが「選手ファースト」という言葉で締めくくっているのは、お粗末だった。「選手ファースト」は、そういう意味ではない。勉強しないと。
この件については東洋経済ONLINEで取り上げている。
「プレイヤーズファースト」本当の意味は何か 誤用、乱用するスポーツ界の残念な大人たち
斉藤が甲子園での過酷な登板を否定しないのは、それを否定すると自らを「甲子園で投げすぎて、その後の野球人生を棒に振った可哀そうな選手」と規定することになるからだ。だから948球を投げたことと、その後の成績不振も「関係ない」と言っている。まだ野球をあきらめたわけではないから、そういうしかないのだ。
彼は周囲の期待に背中を押されたのではなく、自己責任で948球を投げた。そのことを肯定してほしいから「当事者の意思を尊重してほしい」と述べている。
当サイトにも「部外者が論じる問題ではなく、選手や監督など現場の意見が尊重されるべきです」という意見が来ている。しかし、高校野球は監督や選手が勝手にやっているものではなく、学校、地域、家族などの支えでできている。さらには野球ファンの支持があって成立している。
野球人の中には「野球をしたことがない奴がつべこべ言うな」という人もいるが、いったい誰のおかげで野球で飯が食えたのかを知らない、天に唾する様な物言いだ。
元ロッテの荻野忠寛さんは「『若い』ということは、未来が見えないということだ」と言っている。幼児が突然道に飛び出すのは、車にぶつかるかもしれないという「未来」が予見できないからだ。
高校球児が無理をするのも、その先の故障や不振という「未来」が予見できないからだ。だから指導者が選手に助言をする必要があるのだ。
つまり指導者は選手の「今」ではなく「未来」を予見して選手に助言をし、起用することが求められる。
「お前が燃え尽きたいなら、行けるところまで行け」という指導者は、その時点で失格なのだ。
一般論でいうが、野球の指導者に選手をゆだねると、ろくなことにならない。
最近、全国で「野球肘」検診が行われている。しかし指導者の中には「野球肘」が見つかると、選手を使えなくなるから検診を受けなかったり、エース級の選手だけ受診させなかったりするケースが頻出している。そのことを親にも告げない指導者が多い。
こういう指導者の「当事者の意思」も尊重すべきだろうか?
指導者も選手も、もう少し勉強すべきではないか。今、野球界に何が起こっているか。スポーツ医療はどこまで進化しているか、スポーツの指導はどういう考え方になっているのか。
自分の経験だけに頼った自己流で選手を指導している指導者は、まず、そのことに疑問を抱くべきだと思う。
2018年鈴木博志、全登板成績
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子分や家来が親分や主人に異論を言えるのだろうか。
昼の新潟県が球数制限の実施をとりやめた報道も、親分、主人の高野連に、大人が組織しているはずの新潟県でも異論を行動できないっていう話。
個性重視という建前を言い出して久しい。しかし、家来や子分をつくる学校、社会の仕組み自体はほとんど変わっていないので、自分の主張した途端、はじき出されるのが伝統や歴史のある組織。
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