NHK
新潟県高校野球連盟は、ピッチャーのけがの予防を目的に、ことし春の県大会で全国初の導入を目指していた「球数制限」について、先月、高野連=日本高校野球連盟から再考を求められたことを受けて、断念する方針を決めました。


(中略)
新潟県高野連の関係者によりますと、15日、新潟市内で役員らによる会合を非公開で開き、対応を協議した結果、日本高野連側の要請を受け入れ、「球数制限」の導入を断念する方針を決めました。


大きな流れとして「球数制限」を端緒とする一連の「野球改革」の流れは、止めようがない段階に入っている。
スポーツ庁をはじめ、日本のスポーツ行政も、スポーツ界全体も、「プレイヤーズファースト」そして「選手の健康維持」を重視する方向に大きく舵を切っている。鈴木大地長官なども旧弊な高校野球に対して、語気を強めて改革を促している。

そのことは日本高野連も十分に承知している。「球数制限」についても、無碍に突っぱねることはできなくなっている。
では、日本高野連は何を考えているのか?
それは、これまで高校野球を担ってきた旧来の「指導者」を傷つけることなく、穏便に、ゆっくりと「制度改革」を進めたいということだ。

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昭和の時代の「根性」「滅私奉公」的な野球は、すでに時代遅れになっただけでなく、野球離れの大きな要因となっているが、それを全否定すると、今までの高校野球の全否定につながりかねない。古い指導者は失職の憂き目にあいかねない。

そういうハードランディングを避けて、古い指導者たちの「面子」を保ちつつ、新しい体制に移行したいということなのだ。

日本高野連の視点には「選手の健康」や「野球の未来」はない。あるのは「自分たちの既得権益」と「面子」の維持と、安全な撤退だ。「指導者ファースト」「年長者ファースト」が染みついているのだ。
古い指導者も「球数制限」を否定しなくなったが、本音のところでは「俺が現役のうちはやめてほしい」というところではないか。

どんな事柄でも問題があると思えば、直ちに改革を断行するアメリカなどの国に比べて、何と情けないことかと思う。脱力感にさいなまれる。

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