このところ実感するのは、ようやく「日本のスポーツ界が変わろうとしている」ということだ。

これまでの日本のスポーツ界は、ビジネスや政治、行政の世界からは等閑視されていた。あくまで「道楽」のようなものだった。当事者たるスポーツ関係者自身も、ビジネスやマネジメントに疎い人が多く、連盟や協会は「同業者組合」の域を出ていなかった。そして幹部やトップには、ビジネス界や政界のお偉方をいただくのが常だった。「やつらはスポーツばかりして、頭が悪いから、俺たちが運営をみてやってるんだよ」みたいな感じで、お偉方がおみこしに乗っていた。

大相撲やプロ野球、そしてアマチュアスポーツもみんなそうだった。それでまとまっていたのは、スポーツ界は、強烈な上下関係があったから、上の言うことをみんな聞いていたからだ。理不尽なことがあっても、不祥事があっても、身分が下の者、年弱のものが我慢をすればいい。そのうち、歳月がたてばそういう奴らもふんぞり返れる時が来るから。
貴乃花親方が反旗を翻したときに、日曜日の例の番組で張本勲はいみじくも言った。「彼はそんなに焦る必要がないんですよ。おとなしくしていたらいつか理事長になれるんだから」

スポーツ界の人々は、そういう時代がずっと続くと思っていた。世間に波風が立てば、よそから来たお偉いさんが何とかしてくれる。自分たちはスポーツさえやっていれば、いい。余計なことは考えなくてもいい。

何事にもビジネスチャンスを見出すアメリカはそうではなかった。プロスポーツの世界にも、企業価値を求める考え方が浸透し、様々な方向でビジネスを展開するようになった。
そのアメリカのスポーツの考え方が、オリンピックをも支配して、商業主義のオリンピックが始まったのだ。

日本はその流れからははるかに遅れていたが、2020年の東京五輪に向けて、にわかに日本スポーツの体制が改まろうとしている。
大学スポーツは「日本版NCAA」である「大学スポーツ協会」(略称・UNIVAS(ユニバス))が創設された。大学が旧弊な「スポーツ馬鹿」の巣窟になっている現状は、大きく変わるだろう。

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今回のJOC竹田恒和会長の退任表明もその流れからは無縁ではない。日本では、マイナースポーツは特権階級の「お遊び」だった。竹田はミュンヘンとモントリオール五輪に乗馬の選手として出場している。麻生太郎もモントリオール五輪でクレー射撃で出場している。日本のスポーツ団体は、こういうお坊ちゃんをトップにいただいていた。竹田会長は有能だったかもしれないが、スポーツ界の新しい潮流とは無関係だった。エスタブリッシュメントとして、おみこしに乗って、旧来のスポーツ業界の手法で五輪を誘致した。しかし、従来なら看過された「袖の下」も、今は明らかな「不正」になる。竹田会長はそうした「潮流の変化」を感知することができなかったのだ。

これからのスポーツ界のトップは、アスリート出身あるいは、そのスポーツを熟知する人間で、同時に一般常識があり、マネジメント能力やビジネス感覚に長けた人になっていく。誰かのひも付き、傀儡や、親会社からの出向では取り仕切ることはできなくなる。サル山のボスざるやおみこしにのる「お飾り」も、任に堪えなくなる。スポーツ庁の鈴木大地長官をイメージすればよいのではないか。

すでにそういう人がトップに立っているサッカーやバスケットボールなどと、そうではないプロ野球、高校野球、そして多くのスポーツ団体では、今後、組織改革の嵐が吹き荒れるだろう。そうでなければ、生き残れない時代が来るのだ。

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2018年鈴木博志、全登板成績

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