現代ビジネスのこの評論、すとんと胸に落ちる
日本の生産性が低いのは、我々が「合理性」を憎んでいるからだった

当たり前の話だが、経済発展は「生産性の高さ」と正の相関性がある。
小さな労力で大きなインカムがある個人、企業、社会、国家が繁栄する。日本が平成に入って一気に凋落したのは、「生産性競争」に突入した国際社会の中で、日本社会だけが「従来のやり方、長時間労働」を愛して、生産性向上に取り組まなかったからだ。
日本社会では「量的努力」は、そのまま「評価」につながる。「人一倍努力する人」は、組織の鑑であり、それだけで評価されたのだ。

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マーケティングや経営論が未発達の時代は、「生産性」が真剣に議論されることは少なかった。しかし「リソースと結果」の相関性が議論されるようになって、日本以外の国は、より小さな労力でより大きな結果を得る方向へとパラダイムシフトをしたのだ。

日本は、それができなかった。年功序列の社会である日本では「働きまくって今の地位を得た」人が組織の上部に蟠っていたために、彼を否定する様な働き方にはなかなかチェンジできなかったのだ。日本の凋落は、それだけで説明できるわけではないが、これも大きな原因だろう。

日本の野球界にも「練習は嘘をつかない」という言葉がある。より多くの練習をした選手が成功するという「神話」が活きているのだ。選手も指導者も練習の「質」ではなく「量」を求めた。練習量の増大は、けがや故障のリスクを高める。また長時間の強制的な練習は、選手の自主性を奪う。今号のベーマガの石田雄太さんのコラムでは、イチローが「日本の野手は長時間の練習で肩を温存するために、全力でスローイングしなくなった」と指摘したと書いている本末転倒である。「練習のための練習」が、無批判に行われていたのだ。
端的に言えば日本では「長時間練習すること」は、それだけで評価されるのだ。

私が懸念しているのは、選手の健康に気を使い、先進的な指導をしている野球チームでも、1日の練習量が7時間を超えるチームが結構あることだ。休憩をはさむとは言え、スポーツの練習が7時間に及ぶのは異常だ。効率的ではないし、故障のリスクも生む。また、選手から「他のことをする」チャンスも奪う。選手がもっと練習したいのであれば、それは個別にやらせればいいのだ。
おそらくはあまり短すぎると、父兄からクレームが来るのだと思う。
しかし、これだけ長時間練習している国は他にはないのだ。紅白戦や練習試合があるのならともかく、単なる練習であれば長くても5時間程度にすべきではないか。

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