「敬遠」というリザルトは、ある意味で野球というゲームのルール上の「欠陥」でもあろう。



スポーツのルールは、「対戦相手に対する全力での勝負」を前提としている。「わざと負ける」「勝負を避ける」ような行為をする余地を消していくのが本筋だ。

例えば、インフィールドフライは、走者が詰まった状況で内野飛球を「わざと落とす」ことで、併殺を狙うというプレーを阻止するために案出された。野球史上最初の併殺はこれだったとされるが、打球を捕球するという野球の守備の基本原則を守り、走者への不意打ちも阻止するために、インフィールドフライが追加のルールになったのだ。

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「敬遠」も、相手打者を打ち取るために努力すべき投手が、「わざと打者を歩かせる」行為だ。本来であればこれは阻止すべきだが、現実には阻止するすべはない。「わざとストライクゾーンを外れる球を投げてはいけない」といっても、もともとストライクゾーンにボールを投げることが、それほど簡単ではないから「わざと外した」のか「ストライクが入らなかった」のかは、判別が難しい。
そこで「わざと歩かせる」ことを容認することにした。投手が「Intentional Walk(敬遠)」をするときには、捕手ははっきりわかる形でそれをアピールしなければならない。今は敬遠はさらに変化して、ベンチから主審に通告すればいいことになった。

しかし本来、「敬遠」が容認されるのは、走者が得点圏にいて強打者を迎える状況や、次打者が投手の場面で捕手(野手)を打席に迎える状況など、極めて限定的なはずだった。

特に日本で、この「敬遠」のルールを拡大解釈するケースが頻出しているのだ。明徳義塾が松井秀喜に行った「5敬遠」は、「敬遠」のルールの考案者の想定を超えたものだったのではないか。「敬遠」はあくまで局所的、限定的に行う「疑似敗退行為」であって、中軸打者をすべて歩かせるような運用の仕方は「敬遠」の本来の趣旨から逸脱するものではなかったか。

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さらに日本のプロ野球では、打率や本塁打のタイトル争いに関連して、タイトル争いのライバルを「敬遠」するケースが散見される。
これなどは「敬遠」の趣旨から大きく逸脱しているし、チームの勝利よりも個人の成績を優先したという点で、本末転倒の「敗退行為」だ(前の原稿で、「チームより個人の権利が優先される」と書いたのと矛盾しているという指摘がありそうなので、書き添えるが、ここでいう「個人の権利」とは、選手が試合に出る権利、プレーをする権利のことであり、成績やタイトルなどではない)。」

日本以外でこうした「敬遠」の本旨を逸脱した運用があまり見られないのが残念だ。ちょっと恥ずかしいことではある。

「敬遠」のルールを変える必要はないが、「許容されるシチュエーション」についての但し書きを付してもいいかもしれない。


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