星稜高校の林監督が謹慎処分を受けたのは、日本高野連ではなく所属する星稜高校によってだ。

星稜高校は、自校の指導者が相手チームの不正を糺そうとした行為に与することなく、形式的な「ルール破り」と「世間をお騒がせしたこと」に対してペナルティを課した。
昨年末の高知商、「ダンス同好会」事件でも、野球部の梶原部長を謹慎処分にしたのは、高野連ではなく学校だった。
星稜高校や高知商が「特殊な学校」だったからではなく、日本の学校はほとんどが、そういう行動をするのだ。

日本の学校の多くは「教育、学問の府」でありながら、「正義、真実の追求」よりも「治安、体制維持」に走りがちだ。あまたある世の中の「改革の風」にたいして、大きな壁となって立ちはだかることも多い。

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なぜそうなるかといえば、日本の学校組織はほとんどが「経営者、幹部による独裁」だからだ。
先日、東大の上野千鶴子名誉教授が東大の入学式で東京医大の女性差別について言及し、東大にも性差別があると断言したが、変革よりも「体制維持」を優先するのは「最高学府」でも同じなのだ。

野球界の改革が進まないのは、日本高野連、学生野球協会やNPBなどの組織が保守的で、改革を厭うからではあるが、同時にスポーツの活動母体である「学校」が、江戸時代以前のような旧弊な体質であることも大きい。とにかく「お家大事」で「おとりつぶし」にならないように、ひたすら体制維持に汲々となるのだ。

日本の私立学校では、校長以下の教員は入れ替わるが、理事長をはじめとする経営陣は、学校が破綻しない限り絶対に変わらない。親族を主要なポストに就かせることも普通に行われている。
また公立学校であっても、学校を管轄する教育委員会は、年功序列で体制維持を第一に考える。教育委員会は、退職した校長や教頭を私立高校の校長、教頭などに押し込むこともしている。私立も公立も同じような体質なのだ。
「いじめ」のような事件で学校側の対応が極めて不誠実で遅いのも、第一に「自分たちの立場を守ること」を考えるからだ。

もちろん、学校の現場には立派な教育者も改革者もたくさんいる。しかし学校の幹部にはそういう有能で雄弁な人ではなく、従順で組織に忠実な人がなりがちなのだ。
典型的な「日本の組織」ではあろう。企業は国際化の中でそういう体質では生き残れないために変貌しつつあるが、学校は国際競争の波にさらされていないので昔の体質のままだ。

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日本のサッカー界が改革に成功したのは、学校側に存在した権力をあらかた引きはがしたことも大きい。Jリーグというプロの興行組織を強大化させて、学校サッカーの勢力を殺いだのだ。
高校野球の指導者が「次の大会ではあの学校を倒す」しか言わないのに対し、高校サッカーの指導者は「世界に通用する選手を育てる」と真顔で言うのだ。その差は大きい。

そういう意味では、野球の改革をすすめるには、学校側が握っている「権力」を殺ぐことも必要だろう。高校野球を学校単位から、クラブチームにすることも考えていかなければならないだろう。


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