エクスパンション、高校野球のリーグ戦、野球団体の大同団結、独立リーグのNPB傘下化。私が望むこうした施策が進まないのは、これらがすべて「アドベンチャー=冒険」だからである。

アドベンチャーは未知の領域に足を踏み入れることだ。そこには予測不可能の危険が待ち受けている。多くのトラブルもあるだろうし、成功すればいいが、失敗すれば世間の謗りをまぬかれない。

日本が若い国であったころ、多くの人が様々な分野でアドベンチャーに挑んでいた。彼らがリスクを恐れずに挑戦したからこそ、今の日本がある。
プロ野球で言っても、1950年の「2リーグ分立」はアドベンチャーだった。狭い日本に2つのリーグが分立し、15もの球団(当時)が乱立する。「顧客を奪われる」「共倒れする」という反対意見がある中で、正力松太郎や本田親男はこのアドベンチャーに挑んだのだ。

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平成の世になっても、2004年の「球界再編」は、大きなアドベンチャーだった。古田敦也率いる選手会が、財界の重鎮がそろうプロ野球のオーナーに弓を弾き、2リーグ制の維持と新球団の参入を勝ち得たのだ。このアドベンチャーがなければ、2550万人を動員する現在のプロ野球はあり得なかった。

しかしながら、今の日本はアドベンチャーには極めて臆病になった。失敗したときの打撃や世間の非難を恐れている部分もあるが、野球界の上層部が「現状に満足している」ことが大きいのではないか。

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自分が日常に満足していて、生活を楽しんでいることを、世間様にひけらかすようになったのは、SNSが発達した平成後期になってからだ。インスタグラムなどで今日食べたものや、遊びに行ったことを不特定多数に発信する。赤の他人からはまったくどうでもいいことだが、「リア充」を確認するためにも「ひけらかし」がどうしても必要なようだ。
もちろん、そういうこと以外に有意義な発信をする人もいるが、「リア充」のひけらかしだけに血道をあげている人も多い。
こういう人々は、充実している日常を変革するようなアドベンチャーには、まったく無関心だろう。そして社会の片隅で苦しんでいる人にも関心はないだろう。
他者のことなどどうでもいい。「たまたま自分が幸せな境遇にいる」ことがうれしくてたまらない。
私にはこうした行為はプライバシーの流出など「リスク」でしかないと思うのだが、そういう人々が「変革」を妨げている。「保守化」とはこのことを言うのだと思う。

今の野球界も「リア充」を楽しんでいる、高校野球もプロ野球も多くの観客を集めている。世間がちやほやしてくれる。野球界の当事者もそのことがうれしくてたまらないのだろう。
そういう人は近づく「野球離れ」は見て見ぬふりをするし、同じ野球界で困っている存在や、問題点にも関心を示さない。「アドベンチャーなどとんでもない」という保守的な空気が日本の野球界を覆っているのだろう。

アメリカという国は良くも悪くも「沈滞は敵」である。常に新しいコンペティターが現れ、どんどん世の中の仕組みが変わっていく。MLBは20世紀末から経済的に巨大化したが、それに満足することなく次々と改革を行っている。いつの時代にもアメリカでは「アドベンチャーに挑むこと=ベンチャースピリットを持つこと」が「善」だった。

しかし日本は変わらぬこと、続くことを「善」とする風潮が強い。泰平の世ならばそれもいいだろうが、日本野球界は近い将来に危難の時代を迎える。そのことが分かっていながら、新しいことはしないし、みんなでまとまることもしない。

野球界は、いつかはわからない近い将来、大地震が来て大津波にさらされるとわかっていながら、浜辺に家を建てて、そこで呑気に暮らすようなことをしているのだ。

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10号本塁打一番乗り/セ・リーグ編

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