3日ほど前、あるスポーツ団体の人と話をしていたのだが「日本では、すごく大事なポジションに、何にもしたくない人がいて、平気でお給料もらっているから困るんですよね」という話になった。
日本という国は
「ある資格やテストに合格すると、以後は身分が保証され、安定した生活ができる」
ような仕組みがあちこちにちりばめられている。

大学入学、大学卒、国家資格取得、新卒での入社、正社員、などなど。そのことさえクリアすれば、端的にに言えばあとは「遊んでいてもいい」ようなシステムになっている。
そうした資格やテストから外れると、身分は保証されず、仕事も不安定で、経済的にも苦しくなる。
今の「階層化」は、こうした日本社会の仕組みと、それにともなう「雇用の流動化の低さ」によるところが大きい。

IMG_5724


官庁や組織などに「正式な資格」で入った人の職場は一般的に「競争環境」ではない。年功序列はなくなったといわれるが、仕事ができなくてもクビになることはない。またいきなり非正規雇用の社員がライバルになることもない。
正規の職員や正社員は、仕事の上でのライバルであっても、自分たちの仕事場の体制を維持するためには一枚岩になる。体制が変わるような大きな改革には、反対の立場で結束する。

要するに正社員、正規職員は「目立った仕事をしない」ほうが立場が安泰だから、自ずと保守的になっていく。それは年齢や役職が上がればさらに強くなる。

日本のプロ野球は選手は競争の下に置かれているが、ほとんどの球団では幹部社員は、大手企業から天下りでやってくる。だから「目立った仕事はしない」ことを美質とする人がそろっている。
彼らが動かないから、プロパーの職員も右に倣えする。プロパー社員の中には「野球界はこのままではいけない」と思っている人はたくさんいるが、彼らが出世する見込みはないから、体制はいっかな変わらない。
「学校」「教育委員会」もそうした組織の最右翼だから、高校野球だって変わらない。

IMG_5838


エクスパンションにしても「球数制限」にしても、なかなか変化が起こらないのは「変化が起こっては自分たちが損をする」という人たちが結束しているからだ。彼らは野球ファンや選手、子供たちのことを考えているのではなく「自分さえよければよい」と思っている。
それを「伝統」とか「文化」とか、耳障りのいい言葉で言いくるめている。

こういう日本の体制は、江戸時代の「幕藩体制」から変わっていない。「お家大事」で、ひたすら体制を維持するのが良いという「侍根性」が染みついている。
一番頭が良くて、有能で、社会的地位も高い人が競争をせず、座り込んだまま年を取っていくのは、おそらく先進国では日本だけだ。

ざんねんなことに「言論の府」メディアもそういう人が真ん中にいる。

安定期、成長期ならばそれでもよかったかもしれないが、世界のあらゆるものが「流動化」するなかで、こうした「腐った幹」は日本の深い病根になっていくのだろう。

IMG_8695



東京球場・シーズン最多本塁打打者/1962~1972

私のサイトにお越しいただき、ありがとうございます。ぜひコメントもお寄せください!

好評発売中!