ガッツポーズは、誰に向けて行うものなのか?チームメイトか?相手選手か?それもあろうが、多くは観客席の応援してくれる人に向かってやっているのではないか。

無観客や観客がパラパラしかいない試合で、選手は派手なガッツポーズはしないだろう。
声援も起こらないのに、派手なパフォーマンスをするのはさすがにみっともない。

スポーツマンシップに照らせば問題があるにもかかわらず、日本で選手のガッツポーズが横行するのは、端的に言えば「ファンが喜ぶ」からだ。
そしてファンはスポーツマンではないから、スポーツマンシップを知らなくても別に構わないのだ。

スポーツ選手は、試合が終われば対戦相手を「仲間」として健闘を称えあわなければならない。競技中も常に相手をリスペクトしなければならない。

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しかし、観客は別にそういう決まりはない。応援が終わって両軍の応援団が健闘を称えあうのは甲子園ではよく見かけるが、プロ野球やサッカーではファン同士の反目や、小競り合いはよく起こることだ。相手チームやファンを「敵」というファンはたくさんいる。

スポーツにおけるあまりよろしくない行為の背景には、ファンの存在が見え隠れすることも多いのだ。ファンが喜ぶからスポーツマンシップに悖ることでもやってしまう。ファンが喜ぶから変なパフォーマンスもやらかしてしまう。

スポーツに参加する方法には「やる」「見る」「支える」の3つがあるといわれる。ファンは「見る」という形でスポーツに参加しているのだから、選手同様、一定の規範意識、哲学があってしかるべきだと思う。

すでに「スポーツファンシップ」という言葉は存在するが、そういうものが必要だろう。
例えば、それはこういうものではないか。

①ファンは、自チームの選手はもとより、相手チームの選手、相手チームのファンも尊重し、敬意を払わなければならない。
②ファンは「見る」という行為でスポーツに参加するのであり、それを逸脱してはならない。試合に過度に影響を与えてはならない。
③ファンは「見る」という行為ですでに「報酬」を得ているのだから、それ以上の「見返り」を求めてはならない。

①相手の選手やファンに汚い言葉を浴びせないのは当然だが、試合終了後、相手のファンと仲良く歓談することもマナーにすべきだろう。
②③で言うなら、私は前の回に殊勲打を打った選手が守備に就いたときに、客席がその名を連呼してあいさつを求めるのは、逸脱行為だと思う。私は大嫌いだ。
選手が観客にあいさつするのは、選手の自発的な行為であって、それをファンが強要するのは醜悪だ。

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試合を観戦しに来たファンは、選手の好プレーに拍手や声援を送ればそれでいいのだ。徒党を組んでうまくもない楽器をならして、客席で体を動かすのは、明らかな逸脱行為だ。
球団も選手もそれを容認しているが、端的に言えばそれはお金を払ってくれるからだ。
「野球の試合をダシにして、騒いでいる」だけの連中が「スポーツを見る」という原初のスタイルを跡形もなく破壊し、スポーツ観戦のあり方を変容してしまっている。

昭和の時代は、そうでなかったことは言っておきたい。ここ40年ほどの間に、日本の球場は極めて騒がしく、落ち着きのないものになってしまった。そしてそのことが、選手の低次元のパフォーマンスを生むようになってしまった。

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国際試合など、応援団がいない試合で、プレーのたびに拍手や歓声が自然発生的に起こるのは、誠にすがすがしいものだ。観客はどちらのチームの誰であっても、好プレーに対して惜しみない称賛を与える。これがスポーツを「見る」という行為だ。
過剰な添加物がないそうした試合では、変なガッツポーズも見られないものだ。

私は東京五輪にはほとんど関心がないが、日本のスポーツ観戦のおかしなスタイルが、世界にさらされることには意義があると思っている。何割かの人はそれを恥ずかしく思うだろうし、それがまともな観戦スタイルの復権へ向けたきっかけになればいいと思っている。


東京球場・シーズン最多本塁打打者/1962~1972

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