アメリカのアンリトゥンルールにしても、イギリス由来のスポーツマンシップにしても、スポーツが生成される過程で、それが「無軌道な喧嘩」や「暴力」に発展せず、平和な「遊び」の範疇でとどまるために考案されたものだ。
スポーツはイギリスで生まれた。もとは貴族の遊びであり、他愛ないものだった。
しかし貴族の中にはポロやクリケットに打ち込むものがでてきた。さらに、スポーツは産業革命の進展とともに、貴族以外の階級にも広がっていった。

その過程で「気晴らし」は、真剣味を帯びた抜き差しならないものになっていった。更にはスポーツにまつわる「賭博」も盛んに行われるようになった。
スポーツマンシップは、その過程で「スポーツ」を「喧嘩」や「賭博の種」にしないために考案され、発達したと考えられる。

野球はアメリカ発祥のスポーツであり、イギリスのスポーツの流れをくんでいるとはいえ、独自の発達をした。貴族階級のいないアメリカでは、野球は中産階級の楽しみとして発達したが、19世紀半ばには「プロスポーツ」になった。
同時に、東部から西部へとアメリカ大陸を西進しながら影響を広げていった。アンリトゥンルールはその過程で少しずつ生まれていったが、その根幹にあるのは「フェアな喧嘩」である。イギリスのスポーツが「遊び」であるのに対し、アメリカのスポーツはプロ化が早かったし、競争も厳しかった。
生活をかけた「喧嘩」だったのだ。1910年代までは、野球賭博が横行し、不正も頻発した。
このままでは野球そのものの発展が阻害される。危機感を抱いた野球界は、厳し目のマナーであるアンリトゥンルールを作った。
アンリトゥンルールとスポーツマンシップが違うのは、前者には「やられたらやり返す’」「報復」のルールが入っていることだ。「喧嘩」だから、当然のことだ。

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イギリスも、アメリカもスポーツが巨大化する中で、どうして秩序を維持するか。マナーを守らせるか。そして広範な支持を得るかに躍起となっていたのだ。

MLBがアンリトゥンルールの見直しを考えている背景には「野球離れ」がある。昨年あたりから観客動員ははっきりと減退し、今年もその流れが止まらない。そんな中で、ガッツポーズを禁じた旧来の掟の見直しを考え始めているのだ。

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ひるがえって、甲子園で高校生がやる「ガッツポーズ」には、それだけの深い意味はあるだろうか?
指導者や先輩の言うことを無批判に聞く丁稚みたいな選手を沢山作りだしてきた日本野球は、ガッツポーズや、様々なスポーツのマナーに真剣に向き合ってきただろうか?
私には、甲子園で高校球児がやるガッツポーズと、メジャーリーガーがポストシーズンで見せるガッツポーズが同じものだとはとても思えない。

もっと日本のスポーツは、自分たちが寄って立つ基盤や、社会との関係についてよく考えるべきだろう。ガッツポーズがもつ意味についても悩むべきだろう。


東京球場・シーズン最多本塁打打者/1962~1972

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