1959年6月の球史に残る「天覧試合」は、昭和天皇の一言から生まれたという。

ある日、御所から都内を見渡していた昭和天皇は北東、水道橋方向にひときわ明るい光の帯が立ち昇っているのを見つけた。侍従に聞くと「後楽園球場のナイターの光でございます」という。昭和天皇は「職業野球の試合が見たい」といった。

宮内庁からこの話を聞いた連盟の鈴木惣太郎、セ・リーグの鈴木龍二、巨人の正力松太郎は、警備の関係から神宮でのデーゲームを宮内庁に提案したが、昭和天皇はナイターが見たいといった。

そこで6月25日に後楽園球場で行われる巨人ー阪神戦を史上初の「天覧試合」にすることとした。このとき、バランスをとるために天皇へのご説明役は、パ・リーグ会長の中澤不二雄がつとめている。パの実質的な領袖だった大映の永田雅一は非常に悔しがったといわれている。

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御案内役は正力がつとめた。正力は警視庁時代、昭和天皇が皇太子時代に狙撃されかかった「虎の門事件」の責任を取って辞職している。それだけにお詫びの意を呈するという個人的な思いもあった。正力は緊張のあまり、球場の階段で転倒している。

試合はよく知られる通り、9時半になって昭和天皇が席を立つ直前に、長嶋茂雄が村山実から劇的なサヨナラ本塁打を打った。
この試合は、この年の4月10日に行われた「皇太子(現上皇)ご成婚」ブームによって急速に普及したテレビで全国の人々が見た。これがきっかけで、プロ野球ブーム、巨人ブームが起こり、プロ野球はナショナルパスタイムになるのである。

昭和天皇は、水道橋の光に「戦後復興」の兆しを見た。この日の観衆はもちろん超満員の4万人。昭和天皇は「平和な時代」の空気を観衆とともに満喫したはずである。
まだ今上天皇は生まれていなかった。そして昭和天皇は今上と同じ59歳だった。

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