フルカウント
29日(日本時間30日)のヒューストンでのアストロズ-カブスの一戦で、カブスのアルバート・アルモラJr.外野手の痛烈なファウルボールが観戦していた少女に直撃するというアクシデントがあった。アルモラJr.はその場で涙を流し、試合は一時中断。試合後には、米メディアに「言葉が出ない」と沈痛な面持ちで心境を明かしている。

この話を聞いて、しみじみ思うのは「日本の選手はこういうことはしないだろう」ということだ。

日本人は「恥の文化」が強いから、感情を露骨に表すことをよしとしない。野球選手は公衆の面前でこんな感情を表したりはしない。だから泣いたりしない。

しかし、そうした表面的な問題以前として、アメリカでは、野球選手が「ふつうの父親」に戻って、女の子の容態を心配して「泣く」というメンタルを持っていることに驚く。ふつうの青年、普通の父親の感性をもって、メジャーでプレーしているのだ。
だから、MLBの監督や選手は親族の葬儀や妻の出産、ときには娘の卒業式のために、試合を欠場する。それを周囲も認める。これがアメリカの当たり前なのだ。

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日本ではプロ野球選手は、すべて高校野球を経験する。ここでは選手は指導者に絶対服従を強いられ、生活をすべて犠牲にして野球に打ち込むことを求められる。人の生き死には別にしても他のプライベートはすべて捨て去るように言われる。
多くの指導者は「勝利」だけを求める。相手選手は「敵」であり、スポーツをする仲間ではない。
いわば「軍隊」のような生活を経て、技量の優れた選手はプロへと進む。

プロでも上下関係は絶対だ。またプライベートを優先することは認められない。そんな中で野球選手はなかば「軍人」のような人格へと変貌していく。
そんな生活を続ければ「ふつうの人」としての「感情のひだ」がすり減っていくのも仕方がないところだ。

おそらく子供にボールが当たれば心配するだろうが、指揮官は「野球に集中しろ」というだろう。泣くような感情表現は「野球選手らしくない」と言われるだろう。

私が吉井理人コーチが好きなのは、日本の野球人には珍しく優しさをしばしばグラウンドでも見せるからだ。吉井コーチは今春、石垣島のキャンプで、移動の途中に立ち止まって、金網越しに小さな手を伸ばした女の子と握手をしていた。一瞬だがはっとした。
吉井コーチは、筑波大で「コーチング」を学んだが、同時にスポーツマンに必要な「優しさ」の大切さにも気づいたのだと思う。

ちなみにこの写真は、ゾゾ初登場の時にレアードの後に紹介されて、なぜか一緒に寿司を握るポーズをした吉井コーチ。

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高校野球ではいまだに「相手選手は敵だから握手をするな」という指導者がいる。プロでも「他球団の選手と仲良く話すな」という評論家がいる。

彼らは「戦争」をしている気なのだろう。そういう認識が、今の世の中から嫌悪されていること。おかしいと思われていることを知るべきだと思う。
スポーツは戦争でも喧嘩でもなく「遊び」なのだ。


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