大阪はもともと「組体操」が好きな土地柄だ。私は大阪の私立高校に通ったが、運動会で組体操のようなものをさせられ、左胸を強打した。その後左肺の自然気胸になったが、無関係とは思っていない。
「組体操」は、あまり運動神経が良くない子どもにとっては恐怖そのものだ。落ちれば確実にケガをするような高いところに登らされるのだ。それも授業として。

同時に巨大な「組体操」は、力を合わせて何かをした、という達成感を醸成する。子どもや親が感動のあまり泣いたりする。特に、屈強な生徒だけでなく、脆弱なちびが、ピラミッドを這い上がって健気に体を起こすと、感動の嵐となる。

だから生徒や学校側、保護者の一部は「組体操」を熱狂的に支持する。「みんなで力を合わせる」「不可能と思われたことを可能にする」という教育効果も強調される。「恐怖の克服」なども言及される。

しかし私に言わせれば、日本の学校ではうんざりするほど「力を合わせること」「団体行動」を強いられる。怪我をする可能性があることまで、強制されるのは地獄だ。
「不可能と思われたことを克服する」のは大事だが、強制されてそれをするのではなく、努力は自発的にやりたい。

要するに「組体操」は、そのプラスの面だけを強調する人たちの「同調圧」で続いてきたのだ。
「組体操」そのものは、なんの工夫もない、頭の悪いトライアルだ。それでいて達成感が大きい。「取れ高の大きい」アトラクションではあるのだ。

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「子供の気持ちを大事にしたい」というが、子どもにも「やりたい子」と「やりたくない子」がいる。学校でやることである。「やりたくない」とは言えない空気が醸成される。そもそも身体的な危険がある場合は、全員が「やりたい」と言っても、大人の判断で中止すべきだろう。
もともとは軍事教練から出たものだ。人命を重視するような思想は入っていない。

もうお気づきだと思うが、「組体操」は、甲子園での「燃え尽きてもいいから投げさせたい」と同じメンタルで行われている。
若者がリスクに挑戦するのを見たい、そして感動したいという日本人に多い無責任な「感動欲求」が、そうさせているのだ。どちらも「残酷ショー」だと言って良い。

組体操のガイドブックはたくさん出ている。「安全組体操」なる言葉もできている。そこまでしてやらせたいという人がいるのだ。

「組体操」を熱狂的に支持する人は、その延長線上に、我が子を「死んでこい」と戦地に送り出すようなパッションがひそんでいることを少しは認識すべきだ。


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