一昨日も触れたが「敵に塩を送る」ような話が、麗しい話として喧伝されることに危機感とある種の嫌悪感を感じている。
一昨日の星稜と仙台育英の試合、
7回2死後に星稜の先発・荻原が打者にボールを投じた後、右手首がつってタイムがかかった。このときに仙台育英の4番小濃が、自分が飲もうと持っていたスポーツドリンク入りのコップを手にマウンドまで行って手渡した。
これは一昨日も言ったが、星稜と智辯和歌山の試合で奥川に熱中症対策の錠剤を届けたのと同様、ドーピング規定に違反する可能性がある。
また試合中に、選手が相手チームの選手と話したり、コミュニケーションをとったりすることも禁じられている。あらゆるスポーツでは、こうした規定は当たり前のことである。
甲子園に出るような学校が、熱中症対策をしていないはずはない。相手チームが余計なことをしなくても、自軍ベンチでその準備は十分にしているはずだ。要するにいらざるをことをしているのだ。
確かに野球をする仲間同士が、敵味方を超えて友情でつながるのは佳い話かもしれないが、試合中にやるべき必要性は全くない。紛らわしいことはしないに越したことはない。
いい年をした大人がそれを指摘することなく「感動」だの「麗しい」などというのは、日本人はずいぶんと涙腺と頭が弱いものだと思ってしまう。
このニュース、特に新聞社が大々的に報じている。いい話、感動的な話として、前面に押し出したいという意向が見て取れる。新聞がこういう中身のない「感動」を大々的に報じるときは、何か指摘されたくない「裏」がある場合が多い。
それはかつてない高温の中で試合が行われていることの「異常さ」だ。試合中に選手が腕や足がつるのは、「熱中症」の症状だ。普通はそうなったら、運動を直ちにやめて安静にすべきだが「高校野球的」には、それはできない。だからそれを「感動物語」に紛れて隠ぺいさせているのだ。
昨年もそうした例があったが、おそらくこの「感動」は、全国に広がるだろう。試合中にアクシデントがあったら、相手チームがサポートするのが「麗しい習慣」として定着していくだろう。
それはスポーツらしい光景でも何でもない。そうしなけれなならない必然性もない。安っぽいパフォーマンスに心を奪われてはならない。
みんな、もっとしっかりすべきだ。
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7回2死後に星稜の先発・荻原が打者にボールを投じた後、右手首がつってタイムがかかった。このときに仙台育英の4番小濃が、自分が飲もうと持っていたスポーツドリンク入りのコップを手にマウンドまで行って手渡した。
これは一昨日も言ったが、星稜と智辯和歌山の試合で奥川に熱中症対策の錠剤を届けたのと同様、ドーピング規定に違反する可能性がある。
また試合中に、選手が相手チームの選手と話したり、コミュニケーションをとったりすることも禁じられている。あらゆるスポーツでは、こうした規定は当たり前のことである。
甲子園に出るような学校が、熱中症対策をしていないはずはない。相手チームが余計なことをしなくても、自軍ベンチでその準備は十分にしているはずだ。要するにいらざるをことをしているのだ。
確かに野球をする仲間同士が、敵味方を超えて友情でつながるのは佳い話かもしれないが、試合中にやるべき必要性は全くない。紛らわしいことはしないに越したことはない。
いい年をした大人がそれを指摘することなく「感動」だの「麗しい」などというのは、日本人はずいぶんと涙腺と頭が弱いものだと思ってしまう。
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それはかつてない高温の中で試合が行われていることの「異常さ」だ。試合中に選手が腕や足がつるのは、「熱中症」の症状だ。普通はそうなったら、運動を直ちにやめて安静にすべきだが「高校野球的」には、それはできない。だからそれを「感動物語」に紛れて隠ぺいさせているのだ。
昨年もそうした例があったが、おそらくこの「感動」は、全国に広がるだろう。試合中にアクシデントがあったら、相手チームがサポートするのが「麗しい習慣」として定着していくだろう。
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観るもののリテラシーは指導者以上に修正が難しいかもしれません。
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