昨日夕方、私は近鉄で大阪に向かった。快速急行は東花園駅に臨時停車。花園ラグビー場の照明は煌々と明るかった。桜のジャージを着た日本人や、スペイン語をしゃべる大きな外国人が乗り込んできた。
彼らがスマホで見ていたのは、まもなく静岡県で始まるアイルランドと日本の試合だっただろう。
仕事場として借りているデスクに着いて、入り口のモニターを見ると試合が始まったばかりだった。
それを見ることなく仕事をしたが、途中でトイレに立った時にモニターを見ると、9-12。いい試合をしているがここまでかと思ったが、次にモニターを見ると、田村がコンバージョンを決めるシーンだった、難しいコースだがこれを決めて16-12。これは切ない。

私はモニターのあるところから逃げたくて、再び電車に乗って家路に向かった。4年前、南ア戦で見せたジャイアントキリングなど、もう一度あるはずがない。高まる期待感と、それが失われた時の喪失感の大きさにみんなが落胆するのを見るのが耐えられなかったのだ。
電車の中でスマホに見入っていた若い女性が小さな声を上げた。ため息が車内に広がった。

私はラグビーのことなど何も知らない。東海大仰星や常翔学園などのラグビー部を取材したことがあるが、私が聞くことができたのは「ラグビーではトップを取っても飯が食えない」「だから努力が必要だ」ということだった。指導者は謙虚で、選手も野球選手よりも自分の言葉で話しているように強く感じた。

7c20fa5530861905653e60011d444025_m


この日のラグビーが人々に与えた「ざわめき」と、前日の巨人の、たとえば阿部慎之助が沢村拓一に仕掛けた田舎芝居の「ざわめき」は、おなじものだろうか?居合わせたファンの感動は、同列に語ることができるだろうか。

「公式戦での引退試合」を擁護する人々は、この二つのできごとを「同じスポーツだ」と胸を張って言えるか?

スポーツの公平さ、公正さを踏みにじってまで予定調和的な「お涙頂戴」を演出するプロ野球は、「この程度のことでもファンは感動するだろう、ちょろいもんだ」と思っていないか?おごっているのではないか?

dc604990cff9712dd2abf85f4c586aa7_s


今は圧倒的にプロ野球の方が優勢だが、こんな緩んだ試合を見せていれば、その将来はわからない。

混じりけなしの真剣勝負をしなくてもいい。「これくらいいじゃないか」と思っているプロ野球も「実力がない選手を試合に出すこと」を「リスペクトだ」と信じているファンも、スポーツの神に嗤われる。


「宇佐美式勝利打点」を調べてみました・2019|9月24日まで

私のサイトにお越しいただき、ありがとうございます。ぜひコメントもお寄せください!

好評発売中!