選手の引退をめぐる話は年々ひどくなる。人間社会というのは何事も前例主義だから、去年受けたから今年も、もっと派手に、とエスカレートする。だから年々ひどくなっていくのだ。



FRIDAYデジタルから転載されたヤフーの記事についたコメントの気持ちのわるさ。
引退選手を公式戦で見送ることの何が悪いという理屈なら、まだ幼稚だ、ということで済むが、多かったのは、お客が喜んでいれば興行的に成立するという理屈だ。
商才のある連中がスポーツのビジネス面に着目して参入するのはいいが、客が入るから、ビジネスとして成立するからといって、スポーツの公平性、公正性を侵食してもありだ、というのはとんでもない理屈だ。
トップリーグがプロだろうが、商売だろうが、すべてのスポーツの下部はアマチュアであり、すそ野は子供につながっているのだ。客受けするからといって、スポーツの枠組みを崩してまでエンタメ性を混入することを容認するのは、アマチュアレスリングのトップを受けるからと言ってプロレス化するようなものだ。
そういう理屈をしれっと言う連中は恥を知れ、と言いたい。

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スポーツが興行として成り立つのは、それが「真剣勝負」であり、コンペティターが公平公正に、イーブンで対戦するという条件が担保されている時だけだ。
これを「お客が喜ぶ結末にするために」操作するようなことが常態化すれば、スポーツは社会的信用を失い、崩壊する。

引退試合の茶番劇が興行的に成立しているのは、スポーツの本質を理解しない、極めて限定的な甘やかされたファンが大勢詰めかけているからだ。そしておかしいと思いながらも、もろ手を挙げて賛仰するメディアがいるからだ。

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プロ野球の観客動員は今年2650万人に迫るが、その多くはリピーターであり、実態は500万人強にすぎない。その中でお涙頂戴の田舎芝居を喜んでいるのは、それほど多くはないはずだ。

一番くだらないそのレベルが喜ぶ方向に特化すれば、今後、ファンの増加は期待できない。少なくともレベルの高いファンはそっぽを向くだろう。多くの人はそれこそ、ラグビーなどと比べて野球は何だ、と嘲笑するだろう。
ああいう演出がおかしいことは、子供にでもわかるのだ。わからないのは、あるいは許容してしまうのは、どこかのねじが取れているか、緩んでいるのだ。

口を開けて「お願いですから感動させてください」と懇願する怠惰な客を、お得意様だと思っていては、新しいマーケティングはできない。


「宇佐美式勝利打点」を調べてみました・2019|9月24日まで

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