SNSで、今季の常軌を逸した「引退試合」のきっかけになったのは、3月のイチローの引退試合ではないかという指摘があった。その可能性はあるだろう。
イチローは数年前から実質的な戦力ではなくなっていたが、なかなか引退せず、現役続行の道を求めていた。2016年に3000本安打を打ってからは、個人的な目標もあったとは思えないが、引退しなかった。
イチローがマーリンズに移籍した頃からは、周囲も、腫れ物に触るようだった。
殿堂入り確実とされる大選手、しかもアメリカだけでなく日本でも絶大な人気のある選手に「引退」の引導を渡すこともできない。もう少し戦力になるほど元気なら、ジーターのように「今季限りで引退」を宣言することも可能だったかも知れないが、ここ2年ほどのイチローは、フル出場できないほど悲惨な成績しか挙げられなかった。
私は3000本を打つ前後から、戦力でないと言い続けてきたし、潔い引退を、と言ってきたが、そうはならないうちに昨年中に選手ではなくなり、日本での開幕戦で選手として復帰した。
多くがこの開幕戦がイチローの引退試合になるのではないか、と予想したがアナウンスはないままエキシビションゲーム2試合が終わり、開幕戦も終わり、菊池雄星が投げる2戦目となった。その直後に、MLBの公式サイトがイチローの引退を発表、イチローはその後守備位置を退き、試合からも退いた。
日本の「公式戦での引退試合」とは厳密に言えば異なるが、戦力でないことが誰からも明らかな選手が、公式戦に出たという点では、実質的に福浦和也の試合と大差ないとは言える。
私は4日間の試合をすべて見届け、イチローの球場一周も見届けた。イチローは1994年の210安打からずっと見続けてきた選手であり、その全盛期をこの目で見ている。MLBに移籍してからの活躍もオンタイムで見てきた。2012年の前回の開幕戦も見た。それだけに見届けなければという気持ちになったのだ。
「引退試合を公式戦で行うこと」を批判しながらも、イチローの引退試合のことを書くのは、矛盾していると言われるが、引退試合がどれだけ醜悪であっても、イチローの「最後の勇姿」は見ておきたい、と思ったのだ。
このあたり難しいが、引退試合がおかしなものだからと言って、選手そのものを否定するのは間違っている。偉大な選手は、どんな引き際であっても、正当に評価すべきだ。そのことは分けて考えるべきだと思う。
福浦和也の引退に関して批判をしてきたが、私のブログを読んで、福浦の引退試合に行くのを辞めたというコメントが有って、申し訳なく思っている。
力が衰えた選手が引退するに際して、選手を見送りたいと思うのは自然なことだと思う。
ただ、その引き際のセレモニーがおかしなものだったことは「残念」なことではあった。
イチローもそうだが、福浦も、永川も、多大な実績を残した選手だから、その最後は、拍手で送りたい。ファンが自然な感情として、そうするのはいいが、ことさらにステージを設けて、大げさに騒ぎ立てたり、公平公正であるべき公式戦で行うなど、スポーツの趣旨からしておかしなことをするのは、良くないということなのだ。
引退は「私事」だ。これを「公事」である「公式戦」に持ち込むのは、最悪だ。球団や、指導者、メディアがこのあたりの是非をわきまえなくなったのが、一番問題だろう。
「宇佐美式勝利打点」を調べてみました・2019|9月24日まで
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殿堂入り確実とされる大選手、しかもアメリカだけでなく日本でも絶大な人気のある選手に「引退」の引導を渡すこともできない。もう少し戦力になるほど元気なら、ジーターのように「今季限りで引退」を宣言することも可能だったかも知れないが、ここ2年ほどのイチローは、フル出場できないほど悲惨な成績しか挙げられなかった。
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日本の「公式戦での引退試合」とは厳密に言えば異なるが、戦力でないことが誰からも明らかな選手が、公式戦に出たという点では、実質的に福浦和也の試合と大差ないとは言える。
私は4日間の試合をすべて見届け、イチローの球場一周も見届けた。イチローは1994年の210安打からずっと見続けてきた選手であり、その全盛期をこの目で見ている。MLBに移籍してからの活躍もオンタイムで見てきた。2012年の前回の開幕戦も見た。それだけに見届けなければという気持ちになったのだ。
「引退試合を公式戦で行うこと」を批判しながらも、イチローの引退試合のことを書くのは、矛盾していると言われるが、引退試合がどれだけ醜悪であっても、イチローの「最後の勇姿」は見ておきたい、と思ったのだ。
このあたり難しいが、引退試合がおかしなものだからと言って、選手そのものを否定するのは間違っている。偉大な選手は、どんな引き際であっても、正当に評価すべきだ。そのことは分けて考えるべきだと思う。
福浦和也の引退に関して批判をしてきたが、私のブログを読んで、福浦の引退試合に行くのを辞めたというコメントが有って、申し訳なく思っている。
力が衰えた選手が引退するに際して、選手を見送りたいと思うのは自然なことだと思う。
ただ、その引き際のセレモニーがおかしなものだったことは「残念」なことではあった。
イチローもそうだが、福浦も、永川も、多大な実績を残した選手だから、その最後は、拍手で送りたい。ファンが自然な感情として、そうするのはいいが、ことさらにステージを設けて、大げさに騒ぎ立てたり、公平公正であるべき公式戦で行うなど、スポーツの趣旨からしておかしなことをするのは、良くないということなのだ。
引退は「私事」だ。これを「公事」である「公式戦」に持ち込むのは、最悪だ。球団や、指導者、メディアがこのあたりの是非をわきまえなくなったのが、一番問題だろう。
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