ラグビーの日本代表で、外国籍の選手や帰化した選手が活躍したことについて「日本のために頑張ってくれてありがとう」「日本を大好きになってくれてありがとう」という声が上がっている。申し訳ないが、私は「ちょっと気持ち悪い」と思う。

彼らの経歴を見ればわかるが、外国人選手で小さい頃から「日本代表になりたい」と思っていた選手など一人もいない。「いろいろあって」日本に落ち着いて、水があって、縁があって、桜のジャージを着るようになったということだ。
もちろん、嫌いな国ではここまで頑張れなかっただろうから、日本が好きなのは間違いないが、絶対的なロイヤリティを感じているとは思えない。そうだとすれば、かえっておかしいと思う。
ときどき、日本が好きすぎて日本人でもやらないような伝統文化や伝統芸能の奥義を極める人もいるが、それは「特殊な人」であって、外国人がみんなそうならなければならないわけではない。
日本に居ても外国のアイデンティティを保持することに、我々は寛容にならなければならない。

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ラグビーだけでなく、プロ野球もサッカーもそうだが、日本でプレーをする外国人選手は第一に「金のため」「生活のため」に日本にいる。
ビジネスライクということではないが、日本に惚れ込んで、母国を捨てたわけではない。

彼らには独特のメンタリティがあるのだと思う。
おめでたい人が、それを気遣わずに「どうだ、お前の母国より、日本のほうがいいだろう」みたいな無神経な「にじり寄り」はしないでほしいと思う。

彼らの多くは生まれた国のユニフォームで活躍したかったはずだ。しかし、それが実力や様々な事情で叶わなかったために、日本に来たということだ。その事情は理解したい。

我々がこのことについて誇れるとすれば、そういう外国人を温かく受け入れ、コミュニティの一員にした受け入れ側の日本人の「心の寛さ」だろう。

これから外国人との付き合いはさらに増えるだろうが、良い「距離感」を持ちたいものだと思う。

今回のラグビーでの外国人の活躍は黒澤明の「七人の侍」をイメージさせる。彼らは村に対して特段の愛着も、忠誠心も持っていなかったが、武士としてプライド、そして「義を見てせざるは勇無きなり」というヒューマニズムで命を捨てて戦ったのだ。

今のラグビー外国人選手の心の中は、「七人の侍」のエンディングで、平和になった村で田植え踊りに興じる村人の姿を見ながら、立ち去ろうとする生き残りの侍たちのようではないかと思う。

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