マラソン、競歩の札幌開催の話が出た時点で、東京都に勝ち目はなかった。

会場変更の権限はIOCにある という組織論があるからだが、それだけでなく、大義もIOCにあったからだ。
夏の東京でマラソン、競歩をすることは、選手の健康面に深刻な影響を及ぼす可能性が高い。ドーハの世界陸上の惨状を見て、IOCはそう思った。
もう一つは、マラソンの開始時間を早めすぎることで、沿道にほとんど人がいない道をランナーが走ることになりかねない。その絵面の悪さもIOCは恐れたのだ。
非常事態かもしれないが、「選手ファースト」からしてやむを得ない。

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IOCが心の底から「選手ファースト」を信奉しているとは思わない。
IOCは、オリンピックが試合中にトラブルに見舞われることで、イメージダウンが起こることを恐れたのだ。イメージが悪化すれば、スポンサーが離れる。テレビの視聴率にも悪影響を与えるから放映権料にも影響する。
ひいてはオリンピックそのもののブランドイメージにも傷がつく。ビジネスに支障が起きる。

だから、無理やりにでも札幌にする必要があったのだ。

これは悪いことではない。今のIOCは商業主義で動いているが、マーケティングはつまるところコンシューマーの評価で決まる。コンシューマーが悪いイメージを持つようなスポーツ=「プレイヤーファーストでないスポーツ」は、できないということなのだ。

日本は上つ方も下々も「選手ファースト」についてよく知らない。
それよりも「ここまでかけてきた金と手間暇をどうしてくれる」というサンクコストの呪縛と「せっかく東京のコースを想定して練習してきたのに」というせこい「勝利至上主義」で、大局が見えていないのだ。日本全体が老化して、後ろ向きのことしか考えられなくなっているのだ。

未だに多くの人が、狂気のような甲子園を賛美しているような国だから、仕方がないとは思うが。

今の都知事は勝利至上主義の権化みたいな人だが、どうせ勝てないのだから「わかりました。選手のために、喜んで札幌に開催権をお渡ししましょう。できることは何でもお手伝いします」と言えば、「男前!(女だけど)」と評判が上がったと思うのだが。



1964年金田正一、全登板成績【スワローズ最後の年、最後の20勝到達】

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