今年は、韓国と台湾と日本の野球を観戦した。いずれの試合でも目立ったのは、大観衆がそろって応援するシーンだ。何度も言っているように、私はこれが大嫌いだが、それを言っていては野球を見ることができないから我慢をしている。


各国ともにいろいろ特徴がある。日本の応援団は球団公認ではあるがあくまで私設であり、マイクなど拡声装置を使わない。生のトランペットや太鼓などで応援する。一人一人の選手ごとにきめ細かく応援歌や動作が決まっている。
また応援団は、届け出をした応援リーダーを中心に、外野で応援する。しかし球団は私設応援団にかぶせる形で様々な演出をする。
今年の3月に、たまたま私は応援団席のど真ん中で観戦する羽目になった。日本の場合、応援は攻撃時だけだが、取り決めが細かく決められていて、きわめてせわしない。
本来、応援とは「試合を見て、それに反応する」受動的な行為のはずだが、日本の場合まず「応援があって、そのあとに試合展開がついてくる」極めて能動的な行為だ。
だから私は「野球の試合をダシに騒いでいる」というのだが。

IMG_2495


能動的な行為という点では、韓国、台湾もほぼ同じだ。両国ともに応援は、ホーム側チーム一色となる。そして、応援は球団のスタッフであるチアリーダーが仕切っている。ダグアウトの上には、これも球団スタッフであるチアガールが上がって、踊りを踊ったりする。
要するに、韓国と台湾でのプロ野球観戦は「試合を見ながら応援する」ことがセットになっている。台湾ではホーム側の応援は、攻撃時だけでなく守備時にも容赦ない。
応援そのものは大体ワンパターンだ。日本の場合、選手によって細かな取り決めがあるが、韓国や台湾では、はじめて野球を観戦した人もすぐに応援に参加できる。
それでも韓国の場合、選手やチームによって少し演出が違うこともある。プサンのロッテジャイアンツは8回には「プサン港へ帰れ」を大合唱する。また7回にはスーパーのレジ袋をかぶったりもするチームもある。
台湾の場合、林立が出ると「リンリコリンリ、リンリ!」という囃子声がかかる。これ、耳の底に残るが、それ以外はあまり個性はない。誰が打席に立っても「アッタラアタ!(安打、安打)」である。

IMG_1052


どちらの国のファンも、応援を心底楽しんでいるように見える。両国のベンチでは、スコアブックのようなものをつけているお客は全くいない。静かに見ているお客もめったにいない。「野球観戦とはこういうものだ」ということになっているのだろう。

私のような古いファンが、今の日本のプロ野球観戦スタイルが大嫌いなのは、「昔はそうではなかった」からだ。昔は、大観衆が入っていても、みんなが思い思いに応援した。ファインプレーが出れば、自然に拍手が巻き起こり、下手なプレーが出ればヤジが飛んだ。今の日本のプロ野球は、そうした観客個々の「反応」が、大歓声で抹殺されている。

今春東京ドームで行われたMLBの開幕戦では、もちろんそういう応援はなかった。十人ほどのファンが声を揃えて応援することはあるが、それに同調するファンは限定的だった。野球の「音」がそのまま聞こえて、心が洗われるような気がしたものだ。

こうしたことを見て思うのは、東アジアの人々は「みんなと一緒のことをする」のが好きだということだ。一人一人は小心だが、集まれば大きな声を出し、極端な行動をする。
しかしアメリカの人々は、みんなで一緒に何かをすることを気持ちいいとは思っていないようだ。西洋と東洋の「個」の在り方を見るようで興味深い。

P6148550


ただサッカーではヨーロッパ人もすさまじい応援をするから、それは一概に言えないのかもしれない。

私は、東アジアで「純粋に野球を見る」ためには、結構大きなコストがかかっていると感じている。


1964年金田正一、全登板成績【スワローズ最後の年、最後の20勝到達】

私のサイトにお越しいただき、ありがとうございます。ぜひコメントもお寄せください!

好評発売中!